サンフレッチェ 森崎浩司が「レジェンド」と呼ばれる理由

 森崎浩司はなぜ「レジェンド」と言われているのか。歴史的な双生児Jリーガーというだけではない才能の考察が今回のテーマだ。

 広島のMF史上最多得点を誇るアタッカー。大砲の豪快さと電子機器の繊細さを併せ持つ左足の持ち主。吸い付くトラップ。精密極まりないパスやクロスと、技術の高さはもちろんだが、本質的な才能は、彼しかできないコンビネーションの構築能力にある。

 広島の黄金時代の基礎を築いたミハイロ・ペトロヴィッチ監督の戦術、いわゆる「ミシャ式」は、個人能力ではなくコンビネーションで守備を崩すのが真骨頂。ただこのやり方はパスの出し手と受け手に続く「3人目の動き」によって相手に驚きを与えないと、得点には繋がらない。この「3人目」の名手こそ森崎浩司であり、ミシャ式はある意味、彼のための戦術とも言えた。

 2008年J2第10節の徳島戦はミシャ式発祥の試合。この時、指揮官は新システムの1トップ2シャドーをほぼぶっつけ本番で採用した。ボールと選手の流れを読み込んで「3人目」で動くための予測精度を上げるためには、練習の積み重ねが必要。しかし浩司は瞬時に指揮官の狙いを解読する能力を持っていた。抜群のポジション取りと動きのタイミングでDFのツボを外し、ダントツにうまいシュートで2得点。美しい幾何学模様を演出した彼の2得点がなければ、ミシャ式の興隆とその後の広島が迎えた黄金期はなかったはずである。

 2012年アウェーでの首位攻防・仙台戦。青山敏弘から高萩洋次郎(現FC東京)を経由してPA内に送られたその場所に突然現れた浩司に対して、仙台守備陣は無力化。コンビネーションの天才だけに許される芸術性の高いゴールを演出するセンスの塊は、彼以前にも以降にもいない。何度も襲われた病との闘いにも打ち克ち優勝にも貢献した。現在はサンフレッチェのクラブアンバサダーを務める森崎浩司は、オンリーワンの「伝説」なのである。(紫熊倶楽部・中野和也)

 森崎浩司(もりさき・こうじ) 1981年5月9日生まれ。広島市出身。現役時代のポジションはMF。177センチ、77キロ。小学2年の時に双子の兄・和幸とサッカーを始める。サンフレユースを経て、00年に広島に入団。3度のJ1優勝に貢献し、04年のアテネ五輪にはU-23日本代表として出場した。16年限りで引退。J通算335試合出場、65得点。17年に広島のアンバサダーに就任。

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