20年の親友が明かすハリル監督の素顔 「サッカーに関して完璧主義」
サッカー日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督(65)がフランスリーグのリールを指揮した1998年から2002年まで、地元紙「La Voix des Sports(ラ・ヴォワ・デ・スポー)」の記者としてチームを追い続けたミッシェル・カステラン氏が4日までにデイリースポーツの取材に応じた。リールの監督に就任した98年以降、20年来の友人で、今では家族ぐるみの付き合いを続けているという同氏。ハリルホジッチ監督との思い出や、ロシアW杯に向けてエールを送った。
2人の出会いは19年前、1998年にさかのぼる。リールは2部リーグでくすぶっていた。チームの立て直しに向け、当時のルコント会長が招へいしたのが、ハリルホジッチ監督だった。
クラブを見つめ続けたカステラン氏は、就任当初のチーム状況を「どん底だった」と表現する。だが、就任2年目に2部で優勝。その翌年には、1部で3位に食い込む快進撃で、欧州チャンピオンズリーグ(CL)でも予備予選を通過して本大会に出場。リールの街は沸いた。
「街の人たちには本当に感謝されている。どこへ行っても、レストランに行っても『コーチ・バヒド!!』と声をかけられ、尊敬されていた。2部リーグのチームを優勝させて、CL出場にまで導いてくれて本当に感謝している。一番印象に残っている試合は、パルマ戦(02年8月の欧州CL予備予選)だ。当時のパルマには、いい選手がたくさんいた。そう、ナカタ(=中田英寿)がいたね。ディフェンス5人で守った記憶がある」
だが、栄華は長くは続かない。ハリルホジッチ監督らしいとも言える背景だが、02年1月に就任した、元映画プロデューサーでもあるセイドゥ会長と良好な関係を築くことができなかった。チームを去る際には、カステラン氏に「自分に対して正直に(行動する)」と言い残したという。
当時のハリルホジッチ監督との思い出を尋ねると、また指揮官らしい話が飛び出した。
「冬のスポーツをしたときに彼がケガをした。どちらかは忘れたが、膝だったと思う。医者は『長く入院しなきゃダメだ』と止めたけど、彼は予定よりも早く退院して、車に乗り込んで、選手を指導するために練習場に向かったことは強烈に覚えている。とにかく選手とトレーニングをしたかったんだ」
ハリルホジッチ監督がリールにがい旋した今年11月の日本代表の欧州遠征。FW岡崎、本田、MF香川ら、主力だったメンバーを代表から外した。多くの議論を呼んだ決断だったが、カステラン氏は心中を察する。
「チームの状態は分からないがバヒドを知っている私の立場から言うと、彼は今の選手の現状をしっかり把握した上で一番良い選択をする。パフォーマンス不足で外した?ならば、驚くことではないね。そういう部分ではとても厳しいコーチ。3人にさらに高いレベルのパフォーマンスを望んでいるのだろう」
来年6月に行われるロシアW杯。1日の組み合わせ抽選会で、日本は1次リーグでコロンビア、セネガル、ポーランドとの対戦が決定。選手時代に一度、W杯に出場したハリルホジッチ監督にとって、アルジェリアを率いた前回大会に続いて3度目のW杯となる。
「本当に素晴らしいこと。いつも挑戦して、開拓していく人間で、家族に対しても厳しいほどだ。(W杯出場を決めた8月31日の)オーストラリア戦の前に彼の家に行った。その時はものすごくピリピリしていて、奥さんに対しても厳しい態度だったね。自分の家なのに、まったくリラックスする様子ではなかった。たった一日だけ緊張がほぐれたのは、7月に迎えた奥さんの誕生日。その日以外は、とにかく次の試合だけを考えていた。それぐらいサッカーに関して完璧を求める人なんだ」
カステラン氏は19年前の思い出を懐かしみながら、ロシアでの戦いに挑む盟友にエールを送った。