原口元気から消えた甘さ、左で出るため「与えられた役割をこなす」

 「このチャンスを逃したら、もうない。そんな気持ちでやっていたんです」。大粒の汗が充実の表情を浮かべる頬を伝う。タイの首都・バンコクのラジャマンガラ・スタジアム。試合中から強まった雨脚ととどろく雷鳴の中で、原口元気(ヘルタ)はそう語った。

 6大会連続のW杯出場を目指して、サッカー日本代表がアジア最終予選に臨んだのは1日。最も大事と言われる初戦は、ホームでアラブ首長国連邦(UAE)に1-2で逆転負けを喫するという苦しい船出だった。原口は1点を追う後半30分から途中出場。与えられたポジションは、ハリルジャパンではおなじみとなりつつあったボランチといわれる守備的MF。ハリルホジッチ監督によれば、原口が持つ縦方向への推進力を評価し、ゴールへと向かう攻撃に厚みを持たせるための起用法だ。だが、原口はシュート2本を放っただけで、結果は出せずにチームも敗戦した。

 原口は、もともと左サイドを主戦場とするアタッカーだ。浦和の下部組織に加入して以来、“天才”と呼ばれ続けた逸材は、17歳になってすぐにJ1に出場可能な2種登録選手となり、翌シーズンの2009年には、J1の開幕スタメンに名を連ねている。武器は鋭いドリブルと、左サイドから中央へとカットインしてからの右足で放つシュート。ユース時代は、何度も同じ形で得点を重ねてきた。プロ入り後もその武器を磨き続け、14年からは独・ブンデスリーガへの挑戦をすることになった。

 ロンドン五輪代表にこそなれなかったが、順調にキャリアを積んできた原口にとっては、ドイツ挑戦が大きな転機となった。これまでとは違って、自分の持ち味を出すだけでは試合に出られない。「監督が求めるものを、求められるポジションでやる。そうしないとチャンスはまわってこない」。意識が変わった。

 それまでは攻撃に比べれば力を割かなかった守備にも尽力。自身がこだわる左サイド以外であっても、チームから求められる役割を懸命にこなした。それは日本代表にもつながる。今や代表の“最激戦区”とも言える左FWとしては、昨年10月のシリア戦以来遠ざかり、右サイドやボランチでの出場時間が増えていった。

 「代表ではアピールをするためにも、とにかく試合に出続けることが大事。そうじゃないと、いつ呼ばれなくなってもおかしくはないから」。ドイツでの立場と同じようにそう語る原口に、自身の“アイデンティティー”である左サイドへのこだわりがなくなったのか、と思わず聞いた。返ってきた答えはこうだった。「むしろ逆。左サイドで勝負するために、その他のポジションでも与えられた役割をこなすんです」。かつての天才少年はその才能からか、浦和時代にもある種の“甘え”が抜けていなかったように見えた。だが、自身の目標を定め、それにつながるステップをおろそかにしない姿勢は、プロフェッショナルを感じさせた。

 しゃく熱のバンコク。試合開始前から雨が降り、芝生は緩く、過酷なコンディションだったが、タイ戦で念願の左サイドとして先発した原口は躍動した。左サイドで攻撃の起点となるだけではなく、ボールを奪われた際にはまるで猟犬のように追いかけ、奪い返す姿勢を示した。前半18分にはヘディングで値千金の先制点。後半に決定機を外す場面もあったが、存在感を放った。

 重圧のかかる最終予選という舞台で、まさに思い通りの活躍。だが、試合後の原口から出てきた言葉は、そんな背景とを考えれば少し意外だった。「ずっと左でやりたいと思っていたんですけど」と前置きした上で「今日は(自らの)結果よりも勝つことだけを考えていた。点が取れて、そのことは良かったけど、今日のようなパフォーマンスを1試合だけでなく、毎試合続けていかないといけない」。芽生えつつある代表選手としての真の自覚。原口元気は、また一つ成長のための階段を登ろうとしている。(デイリースポーツ・松落大樹)

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