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手倉森監督の支え 罪滅ぼしと恩返し

 喜ぶ手倉森ジャパン
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 「サッカー・U-23アジア選手権・準決勝、日本2-1イラク」(26日、ドーハ)

 日本が26日に行われた準決勝でイラクを2-1で破り、3位以内を確定させて6大会連続10度目の五輪出場を決めた。手倉森誠監督(48)は連続出場を途切れさせられない恐怖に打ち勝ち、若い選手の心を巧みにつかんで、チームを一つにまとめ上げた。開催国ブラジルとも縁のある指揮官を支えたのは「サッカーへの恩返し」の思い。手倉森監督は一夜明けた27日、決勝の韓国戦(30日)に向けて意気込みを語った。

 「神様からのプレゼント」-。手倉森監督は五輪切符をそう表現した。日本を6大会連続10度目の出場に導いた。だが、連続出場を途切れさせられないという重圧は想像を超えたものだった。「一人になったときは、負けたときの怖さをじっくり考えた」。重圧というより恐怖との戦いだった。

 表向きは前向きに振る舞った。「自分がやっているから五輪にいける」。酔いに任せて「簡単に(五輪)にいくから」と言ったこともあった。全ては恐怖の裏返しだった。「念じれば事がかなう。自分の言葉は“まことだま”(誠と言霊)」と言い聞かせてきた。

 胸中にあるのはサッカーへの恩返しの思いだ。現役時代、ギャンブルに明け暮れた日々があった。住友金属(現J1鹿島)在籍時には、ジーコの目を盗んではパチンコに出掛け、探しに来るとパチンコ台の下に隠れた。

 親に金を借り、弟の仕送りで生活した時期もあった。Jリーグ開幕直前の92年に鹿島を追われ、NEC山形(現J2山形)に拾われたことで指導者の道も開けた。心を入れ替え、一度は“裏切った”サッカーへの罪滅ぼしを誓った。

 さらに転機は訪れる。J1仙台で監督を務めていた11年3月11日に東日本大震災を経験。生きたくても生きられなかった多くの人々を目の当たりにして、当たり前のことが当たり前ではないと気付いた。「生きているのではなく生かされている。サッカーをさせてもらっている。人としてのおごりが一切なくなった」と振り返る。

 昨年10月の佐賀合宿では病院を慰問して、選手が病と闘う人々と触れ合う機会を設けた。「命懸けで闘う方々の生きがいになれなければならない。代表選手は自分の感情だけで生きてはいけない」と訴えかけた。選手として成長する前に、人間としての成長を促してきた。

 今大会では初めて何人かの選手を自室に呼んで個別に話をした。これまでも常に選手と密なコミュニケーションを取り、信頼関係を築いてきた。劇的な決勝弾を決めたMF原川には、MF矢島とともに「お前らはいぶし銀だ。チームのシステムを自由に変えられる能力がある。困ったときにお前らがいるから安心している」と語りかけた。大一番で原川が見せた輝きは、銀以上のまばゆいものだった。

 ブラジルとは深い縁がある。90年代初めにサンパウロへ留学。寮の部屋は、かつて鹿島でもプレーしたブラジル代表レオナルドの空き部屋だった。当時の監督は82年W杯でブラジル代表監督としてジーコら「黄金の中盤」を率いた名将テレ・サンターナで、チームメートにはブラジル代表カフーがいた。

 かつてユース代表に名を連ねた経歴も、サッカー王国では通用しなかった。1タッチ、2タッチのプレーを覚えることでようやく試合に使ってもらえるようになり、現在のサッカー観の礎にもなっている。

 12年ロンドン五輪をテレビで観戦しながら、次回の五輪がブラジルで開催されることを知り、「次の五輪監督は俺かも」と何気なく口にした。妻・真澄さんは笑って取り合わなかったが、果たして監督就任のオファーが舞い込んだ。運命に導かれるように、再びブラジルの地を踏む。

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