天山が引退 新日本一筋36年、8・15両国大会でリング人生に幕 「最後に5分でも10分でも試合できれば」
新日本プロレスの“猛牛”天山広吉(55)が11日、都内で記者会見を開き、現役引退を表明した。腰や膝のけがでリハビリを続けていたが、現役続行が難しいと判断したという。8月15日の両国国技館大会で引退試合を行う予定で、引退後も新日本所属のまま芸能活動を行う。パワフルで武骨なファイトで真夏の祭典「G1クライマックス」を3度制し、IWGPヘビー級王座も4度戴冠。小島聡(55)と「テンコジ」としてプロレス史に残る名タッグとして名をはせた。1990年の入門以来、団体の低迷期も支えた新日本一筋36年の人気者がマットを去る。
金髪と黒の2色のモヒカン頭に強面(こわもて)がトレードマークで“猛牛”として親しまれた天山がついに引退を決断した。近年は首、腰、膝などに故障を抱え、懸命にリハビリに励んでいたものの身体は限界だった。「プロレスラー生活35周年になるが、引退を決めました。右も左もわからない新弟子として入門し、ここまで来たのは奇跡。プロレスラーになれて良かった」。晴れやかに報告した。
90年3月に入門し2日目に夜逃げしたが、5月に再入門し、91年1月にデビュー。海外武者修行から凱旋帰国した95年1月に「天山広吉」と改名し、大暴れした。「nWo JAPAN」「TEAM2000」「G・B・H」など歴代ヒールユニットを渡り歩き、蝶野正洋や真壁刀義らと共闘。小島との「テンコジ」、蝶野との「蝶天」などタッグでも名をはせた。
シングルプレーヤーとしてもIWGPヘビー級王座を4度戴冠し、G1も3度制覇するなど90~00年代の新日本を代表する存在だった。退団者が相次いだ同時期の新日本で屋台骨を支え続け、永田裕志、中西学、小島ら「第3世代」として歯を食いしばってきた。「新日本が一番と思ってやってきたので他団体に行くなんて考えたこともなかった。今まで新日本でやってこられて本当に幸せ」と実感を込めた。
長年のダメージ蓄積で満身創痍(そうい)だった。昨年5月には難病にも指定されている「黄色靱帯骨化症」と腰椎の手術を受け、1年以上実戦から遠ざかっている。「プロレスラーとして最低限見せなきゃいけない(ものを)、お客さまに高いお金を払ってもらった対価として見せる自信がなくなった時があった。(進退を)ハッキリさせなきゃいけないなと」。G1決勝など名勝負を繰り広げた思い出の地、両国国技館でフィナーレを迎える。「しっかりコンディションを整えて、最後にエキシビションでも、5分でも10分でも試合できれば」。新日本一筋36年、生え抜きとして盛衰を見届けてきた人気者が最後に一暴れする。
◆天山広吉(てんざん・ひろよし=本名・山本広吉)1971年3月23日、京都市出身。91年1月にデビューし、海外武者修行から凱旋帰国した95年1月にリングネームを本名から「天山」に変更した。IWGPヘビー級王座は4度獲得。G1は03、04大会の連覇を含め3度制覇した。得意技はモンゴリアンチョップ、TTD、アナコンダバイス、ムーンサルトプレスなど。183センチ、115キロ。
