西村修さん、小学校入学控えた6歳息子を残し無念の旅立ち 今月4日退院予定も急変「本人も一番悔しい」妻恵さんが最期明かす
2月28日にがんのため53歳で亡くなったプロレスラーの西村修さんの告別式が8日、東京都文京区の護国寺でしめやかに営まれた。プロレス関係者をはじめ多くの参列者が別れを惜しみ、新日本時代から縁が深かった恩人の藤波辰爾(71)、武藤敬司(62)が弔辞を読んだ。また、喪主を務めた妻の恵さんは、小学校入学を控えた6歳の息子を残して旅立った西村さんの無念さを明かした。
西村さんは3月4日に退院予定が決まっていたが、先月28日に容態が急変し、帰らぬ人となったという。恵さんは「最後まですごく痩せたとか、すごく動けなくなったというわけではなく、痛みには耐えて、30分に1回痛み止めの注射を打つほど痛かったりはしたんですけど、(闘病生活の)この1年、試合も出られましたし、(恩師の)ドリー(・ファンク・ジュニア)さんとかと一緒に出られたこともすごい思い出になりましたし、旅行もたくさん行けたんですよ。病気になってから」と、西村さんと過ごした最後の1年間を振り返った。
療養中は、千葉の自宅で家族とゆっくり過ごしていたという。旅行好きの西村さんは家族とも雪山など各地を巡ったが、帰らぬ人となり、6歳の長男の最初の言葉は「パパともうどこにも行けなくなったの?」という悲痛なものだったという。小学校入学を控え、ランドセルも購入していた。恵さんは「3月18日が卒園式で、4月7日が(小学校)入学式で、完全にそれに向けて退院していこうという感じだったので、本人も(亡くなって)一番悔しいのはそこだと思います」と、忘れ形見を残した無念さを代弁した。
西村さんが入院中に肌身離さず持っていた十数枚の息子の写真は、数々の思い出の品と共にひつぎに入れた。「パパ、今までありがとう。天国で見守っててね」と息子が書いた手紙も一緒に入れたといい、「その横がなぜかパパの怒った顔(の似顔絵)だったんですけど」と恵さん。昨年8月、大仁田厚らとともに出場した川崎球場での大会がプロレスラーとしての最後の姿になったが、「息子が見に行って、リングに上がらせてもらった。お父さんがかっこいいプロレスラーだったというイメージがついたので、機会をつくっていただき(大仁田らに)感謝の気持ちでいっぱい」と明かした。
◆主な参列者 藤波辰爾、武藤敬司、渕正信、、新崎人生、諏訪魔、天山広吉、小島聡、永田裕志、後藤洋央紀、SANADA、KENSO、征矢学(以上プロレスラー)、寺地拳四朗(プロボクサー)、山田邦子、せんだみつお(以上タレント)=順不同、敬称略




