西村修さん告別式 藤波辰爾、武藤敬司が弔辞 藤波「君の弔辞を私が読む。こんなに切ないことはありません」武藤「大切な後輩です」

 2月28日にがんのため53歳で亡くなったプロレスラーの西村修さんの告別式が8日、東京都文京区の護国寺でしめやかに営まれ、多くのプロレス関係者をはじめとした参列者が故人を悼んだ。新日本時代からの先輩にあたる武藤敬司、師匠である藤波辰爾が弔辞を捧げた。武藤の弔辞は次の通り。

 「弔辞。西村修選手。闘病生活をしてることは聞いておりましたが、こんなに若く帰らぬ人になるとは思いませんでした。

 西村は俺にとって新日本プロレス時代に付き人を務めてくれた大切な後輩です。

 たくさんの思い出がある中でも特に記憶のにあるのは、当時俺が新車で買ったばかりの赤いフェアレディZにワックスをかけてほしいと頼んだ時のことです。どうやら研磨剤入りのワックスをかけたらしく、泡が真っ赤になり、こすった通りの傷がついてました。それを見た俺は西村を責めることもできず泣きました。

 若い頃、俺もタンパ、フロリダが大好きだったけど、西村は俺以上にフロリダが好きになり、永住するかと思っていました。西村が最初にがんを患ったと国際電話で相談された時、俺自身もショックでかける言葉に苦慮しましたが、お前はプロレスラーだ。それもプロレスだ。戦え、プロレスを続けろ。プロレスは人生そのものだと言ったら、お前は泣きながら返事をしていましたね。そのあとは免疫力を高めて強い体になると言って、死体が浮いているインドのガンジス川で沐浴したり、朝一番の尿を飲んだりして、常に癌と戦っていました。

 興行の切り札として西村を武藤(社長時代の)全日本に誘い、所属選手になってくれたこともありましたが、その時は本当に助かりました。

 また、亀井静香さんから頼まれて西村を指名した時、本気で一生懸命国政の政治家を目指しました。それがきっかけで文京区の区議になった西村を俺は陰ながら応援してました。本当はプロレスにしても政治家にしても、やりたいことはまだまだいっぱいあったはずです。

 今年1月31日1日の太陽ケア引退興行(ジャイアント馬場追善興行)に参戦する予定だったのに来ないと知った時はとても心配しました。でもその時に奥様と息子さんにお会いして、ここに西村の遺伝子がいるんだと思いました。息子さんにはこれから大いに羽ばたいていってほしいです。人になびかず、自分の意思を曲げずに貫いた西村修の人生と共に。

 令和7年3月8日、武藤敬司。」

 藤波の弔辞は次の通り。

 「突然、あなたと突然の別れにこういう時が来るとは信じられません。そして君の弔辞を私が読む。こんなに切ないことはありません。

 共に新日本プロレスで育ち、私が立ち上げた無我に旗揚げから参加してくれました。そして共に行動することも多くなりました。プロレスの原点の挑戦、それは西村修というプロレスラーのスタイル作り、そして多くのファンの皆様に愛される1つのきっかけになったと思います。

 世界を共に旅をし、共にチャンピオンベルト巻きましたね。その一つ一つの瞬間は私にとってかけがえのない思い出となりました。忘れることができません。無我という2文字によって我々は繋がり、長い時を経験しました。(確執により)その別れが18年も続いたという長い年月は、私たちの傷を癒してくれました。

 あの日のように語り合える日がまた来ることを信じて、そしてもう一度共にリングで戦うことを信じてました。結局、再び君と会うことができませんでした。

 しかし、君のメッセージや思いはしっかりと私に届いてましたよ。

 だからもう何も(過去のわだかまりを)気にすることはありません。安心して、安らかに休んでください。

 無我と共に歩いた君のプロレス人生。その人生の最後の時まで誇り高く生き抜いた君に無我を捧げます。お疲れ様。」

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