42歳・多田悦子 引退の女子ボクシング界パイオニア 「トップで居続ける」を貫いたプロ生活

 5月に引退を表明したプロボクシング女子のミニマム級で世界主要3団体を制した多田悦子(42)=真正=が、5日までにデイリースポーツの取材に応じ、アマチュア、プロを通じて25年の現役生活を振り返った。日本ボクシングコミッション(JBC)が女子を承認した08年にプロに転じ、主要3団体、計4本の世界ベルトを獲った女子のパイオニアが貫いたのは「トップで居続ける」という矜持(きょうじ)だった。

 プロアマを通じて女子ボクシングを草創期から支えたサウスポーが、静かにグローブを置いた。18度の世界戦で主要3団体を制覇し4度の戴冠。日本女子初の4団体制覇へはあと一歩だった。多田は「米国でできる馬力がないと思ったから」と引退理由を語った。

 本場米国のリングから統一戦のオファーが来たが、WBO王者だった2021年10月、韓国で行われた初防衛戦で、ベトナム選手に判定負け。そこから1年、本場進出を目指して「(自分を)すり減らすくらいの」トレーニングを続けながらオファーを待ったが、先は見えなかった。厳しいトレーニングを続け「あ、もうできひんと、線が切れた」。不思議なほど未練はなかった。「ボクサーとしてこんなすがすがしいことはない。ほんまに幸せ」と達成感に包まれたという。

 気概を貫き通したプロ生活だった。2008年2月。JBCが女子初のプロテストを開催する直前の取材で、多田はこう言った。「女子やからってなめられたくない!」。兵庫・西宮西高(現西宮香風高)2年の時、男子10人を相手に1人で大立ち回りを演じ、強豪ボクシング部の名将、脇浜義明氏に「おもろいヤツや」と誘われて入部。その武勇伝から「女辰吉」の異名を持つなど、何かとやんちゃなイメージを先行させた。

 当時はロシアの「t.A.T.u.(タトゥー)」を思わせるアイドル級やモデル業兼任選手など各ジムが話題性を打ち出した。多田はビッグマウスや武勇伝でその役割を担った。創成期の女子選手たちが“パンダ”や“色物”になることを辞さなかった時代だ。皆が、まずは女子ボクシングを興行的側面から「知ってもらいたい」という一心だった。

 一方で、多田が真にこだわり続けたのは、テクニックだった。ボクシングを「芸術」と呼び、「技術はコンマ(何ミリのレベル)。ちょっとした(手首の)角度の変え方で違ってくる」と精密機械のようにスピードと技を磨いた。

 指導者もまだ女子に対して手探りだった時期。技術向上を目指す多田は最初の王座挑戦前に、当時WBC世界バンタム級王者で後に3階級を制する長谷川穂積を訪ねた。

 「教えてもらえる人がいないから、自分でトップの人がどういうトレーニングをしてるかを見ようと思った。長谷川さんのボクシングが好きだったし、(その練習内容を)紙に書いて、初めて世界タイトル戦をする時に、当時のトレーナーに『長谷川さんの倍のメニューをやって』と言った。根性論になるけど、現役王者の倍の練習をしたら、世界王者になれるやろうって」

 最初のWBAミニマム級王座は9度防衛。長谷川のいた真正ジムに移籍後の15年にIBF同級王座を獲得し、18年と20年にWBO同級のベルトを手にした。

 多田の話には「トップ」「本物」という言葉が再三出てくる。技術を磨いたのもそのためだ。「トップでいないと説得力がない。勝ち続けたら(取り巻く環境が)良くなる。強い選手とやれば何か変わるって信じてやってきた」

 それゆえ、口に出せないこともあった。勝ち続けなければスポンサーは離れてしまう。試合は組めなくなる。そんな責任感に「追い込まれていた」というWBA王座の防衛時は、敵地トリニダード・トバゴで試合中に左手人さし指を骨折。そのまま戦い続けて引き分けた。

 また、10度目の防衛戦は、右肩を亜脱臼したまま試合に臨んだ。肩はある一定の角度にしか上がらず、ずれると「ポンッと(腕が)落ちる」という状態で判定負け。その後、リハビリに10カ月もかかったという。トップで居続ける、本物であり続けることに情熱を注ぎきった15年のプロ生活だった。

 男女を通じて日本選手初の世界5階級制覇を果たした藤岡奈穂子(竹原慎二&畑山隆則)も5月に47歳で引退を表明し、東西をけん引したトップランナー2人が退いた。多田は現在、神戸市中央区の南京町にプロデュースしたボクシングジム「LOVE WIN」で会員のミットを受けたり、イベントに出演したりと多忙な毎日を送る。

 自身が切り開いてきた道を歩む後輩たちには、何を思うのか。JBC認可元年の08年に82人だったライセンス保持者は2021年に122人まで増えた。キッズボクシングの発展もあり、競技レベルは確実に向上した。しかし、興行的には、まだ男子に近づいたとは言えない。

 多田は「飛び抜けた選手が出てきてくれたらうれしい。藤岡さんや自分が抜けて、(新しい選手が)脚光を浴びてほしい」と期待した上で「飛び抜けたいなら、外国から(世界戦に)呼んでもらってトップの選手とやった方がいい」とハッパをかける。「トップで居続けることを試行錯誤してやり続けた」という現役生活。最後まで貫いた信念が、引き継がれていくことを願っている。(デイリースポーツ記者・船曳陽子)

 ◆多田 悦子(ただ・えつこ)1981年5月28日、兵庫県西宮市出身。西宮西高(現西宮香風高)2年でアマボクシングを始め、01年の第1回アジア女子選手権でフライ級銅メダルなどアマ通算50戦47勝3敗。08年5月にフュチュールからプロデビュー。ミニマム級で09年にWBA王座に就き、9度防衛。真正に移籍後の15年にIBF王者となり、18年と20年にWBOのベルトを獲得し、3団体を制覇した。プロ通算27戦20勝(7KO)4敗3分け。身長161センチ。サウスポーのボクサーファイター。

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