大橋秀行氏 10カウントで「ヨネクラ魂」継承 教え子たちがリングで米倉健司さん黙とう「この人のために勝ってやろうと」

 米倉健司元会長に向けた10カウントを聞く大橋秀行会長(中央)ら関係者(撮影・西岡正)
 米倉健司元会長のエピソードを話す大橋秀行会長(右)
 米倉健司さん
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 ボクシングの名門、ヨネクラジム会長として5人の世界王者を育て、20日に88歳で亡くなった米倉健司さんの追悼セレモニーが26日、東京・後楽園ホールの興行内で行われた。世界王者となった元WBC・WBA世界ミニマム級王者の大橋秀行氏(58)、元WBC世界ライトフライ級王者の中島成雄氏(69)、元WBC世界スーパーフライ級王者の川島郭志氏(53)らがリングに上がり、10カウントゴングで追悼。大橋ジムの大橋会長は「ヨネクラ魂」の継承を誓い、さらなる世界王者発掘への意欲を示した。

 後楽園ホールに来場した関係者、観戦者1368人が鎮魂の10カウントが鳴り続ける中、静かに目を閉じ、米倉元会長に哀悼の意をささげた。追悼セレモニーの発起人で、世界王者にまで育ててもらった大橋会長は「米倉会長はボクシング関係者の中でおそらく一番後楽園に来ている。喜んでいると思う。10ゴングで米倉会長とお別れになるが、この先もヨネクラ魂を継承していきたい」と決意を述べた。

 世界王者5人を輩出したボクシングへの情熱は、今も大橋会長の教えの礎となっている。「何とかこの人のために勝ってやろう、という気持ちにさせる会長だった」。私生活はほぼ放任だったが、世界王者に上り詰めるまで練習は早朝から夜までと厳しかった。それでも『おまえは150年に一人の逸材だ』と言われ続け「毎日毎日『おまえはすごい』って言われると、脳が錯覚する」と大橋会長。選手をその気にさせて、自信を持たせる育成法は今につながっている。

 「米倉会長がいなければ自分もいないし、大橋ジムもない。今の教えはまるパクリだから、結果は不思議ではない」と感謝する。大橋ジムは井上尚弥ら世界王者4人を出した。5人を輩出した師匠と並ぶのにあと一人。「そろそろ5人目のチャンピオンに追いつきたい」と新たな意欲を湧き立てられた。

 会長就任後、米倉氏が言い続けてきた言葉がある。「海外どこへ行っても勝てる選手が、(大橋)秀ちゃん、夢なんだ」。井上尚弥がそれに当てはまる。後継者を育て上げ、ボクシング界の発展につなげる。

 ◆米倉健司(よねくら・けんじ)1934年5月25日、福岡県直方市出身。本名健治。福岡高でボクシングを始め、明大在学中の56年にメルボルン五輪に出場。58年に日興ジムでプロデビューし、59年に日本フライ級、60年には東洋(現東洋太平洋)バンタム級王座を獲得した。引退後、63年にヨネクラジムを創設。17年8月の閉鎖まで柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の世界王者5人を育てた。86年から89年まで全日本ボクシング協会(現日本プロボクシング協会)会長を務めた。

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