スターダムが4・23横浜アリーナ初進出!来年は女子30年ぶり東京ドーム再現の夢!

 スターダムが4月23日、横浜アリーナに初進出する。全日本女子が1989年から8回のビッグマッチを開催した伝説の会場で、今回は女子としては全女の旗揚げ35周年マッチ(03年)以来20年ぶり9回目の興行になる。主力カードもジュリア-中野たむ、上谷沙弥-白川未奈の赤白王座戦に朱里-橋本千紘(仙台女子)の最強戦、ひめか-舞華の引退試合が確定している。

 同団体はこれまで両国国技館(13年4月~22年12月=5回)、日本武道館(21年3月)、大阪城ホール(21年10月)を制覇してきた。来年は進駐軍慰問で来日したミルドレッド・バーク一行が「世界女子プロレスリング大試合」(54年11月19~21日・蔵前国技館)を開催してから70周年の記念イヤーで、全女の東京ドーム大会開催(94年11月20日)から30周年の節目にもなる。今回の横浜アリーナをジャンプ台に夢のドーム興行再現が期待される。

 横浜アリーナは全女が長与千種の引退マッチとして89年5月6日に初進出。プロレスのこけら落としともなった興行は長与&ライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズが、北斗晶&西脇充子を相手にラスト編隊飛行。1万2500人の観衆に別れを告げた。長与は当時24歳4カ月で「またこの世に生まれたら、またプロレスをやりたい」の言葉を残したが、4年後に同会場で復活した。

 対抗戦時代に突入した93年4月2日には、全女が旗揚げ25周年興行としてオールスター戦を開催。全女、JWP、LLPW、FMW女子部の4団体36選手が集結した。北斗と神取忍は30分37秒の死闘劇をリングに刻み、1万6500人の観衆が熱狂。顔面に15針縫う裂傷を負った北斗は、デンジャラス女王の称号を得た。この大一番で対抗戦も軌道に乗ったが、日付変更線を越えた6時間バトルは帰宅不能の観客も出て新横浜駅も混乱した。

 94年3月27日(1万6500人)は北斗が引退カウントダウン第1弾として神取とコンビを結成。ブル中野&アジャコングとのタッグ対決は、裸絞めから北斗ボムの連携でアジャを沈めた。95年3月26日(1万500人)は豊田真奈美がアジャを日本海式原爆固めで撃破し、初めて赤いベルトをゲット。米WWF(現WWE)女子王者のブルは井上京子を撃退して貫録の防衛劇をやってのけた。

 96年3月31日(1万2500人)は長谷川咲恵の引退興行を目玉に開催され、メインはWWWA世界王者の豊田が京子の挑戦を退けた。97年3月23日(8300人)は3冠王者の京子がアジャを撃破して防衛した。女子プロレスは東京ドーム(94年)以降急激に衰退したという見方をされているが、全女の年間最多動員は96年の52万人だ。転換期になったのは97年で、8月にJWPのプラム麻里子選手が試合中の事故で急死。全女は大量離脱事件から10月に不渡りを出して倒産に追い込まれ、年間動員も前年比10万人減となった。

 98年11月29日の30周年興行(7750)は、3派(新生全女、ネオ・レディース、アルシオン)に分裂した老舗の悲哀を物語るように全女14人に対して外部から28人を投入して開催。メインはガイアのAAAW王者として古巣に乗り込んだ長与が、豊田を破って初防衛。同会場最多4度目のメインを務めた豊田は、無情の涙を流し、2年後には全女を去った。

 全女35周年興行(03年5月11日=9850人)はメインのWWWA戦で中西百重が浜田文子に敗退。堀田祐美子が退団を宣言し、高橋奈苗(現奈七永)も脱退を示唆する発言を行うなど老舗団体の黄昏(05年4月に崩壊)を物語っていた。また同会場では97年4月29日、FMW女子部の工藤めぐみが男子を押しのけてのメイン舞台でシャーク土屋と電流爆破の引退試合を行っている。

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