不妊治療を経て…できなかったからこそ頑張れることもある

 ハイヒール・リンゴが、自身が長年不妊治療をしてきた経験を告白。そのうえで、不妊に悩む人たちにエールを送った。

  ◇  ◇

 私が不妊治療をやめたのは50歳のときです。当時は薬を見て、どんな治療してるかわかるほどでした。注射も自分で打ち、腕の血管も採血しすぎて硬くなったほど。体外受精も二十数回しました。

 お金の問題とか、家族に問題が出たりとかで、途中であきらめざるを得ない人もいる。私の場合、夫とは一回り年齢が違うし、年齢的に成人するのを見守れないかもしれない。それは自分のエゴだなと、子どもの立場になって考えなくてはと。不妊治療で子どもを授かっても、それで終わりじゃない。そこから育てていかなければいけないですから。

 不妊治療を経て出産した友だちが半泣きで言っていたんですが、「私が欲しかった子どもはこんなんじゃない」って。もちろん子どもがいてうれしい。だけど生まれるまで、もっといっぱい夢を描いていたわけですよ。こんな服着せて、あんなことして…と。でも実際は歳をとると、育てるのが大変。若いときと違い体力がないからしんどいみたいですね。そのうえ夫は子育てに非協力的で「お前が欲しい言うてたやないか」とケンカになる。そんな現実を聞いて、私も50歳でそれをするのは、さすがにしんどいなと思いました。

 家族の形態を考えると、子どもがいるのが多数派じゃないですか。でも子どもができなかったからこそわかったこともある。我が家の夫婦関係でいえば、会話も多くなったし、さらに仲よくなった。仕事も集中できる。

 負け惜しみだと思う方もおられると思いますが、できなかったからこそ頑張れることもある。だから不妊治療してもできなかった人、いま現在治療している人も、決して引け目を感じる事なく、胸を張ってほしいですね。少なくとも私はそうあろうと思います。

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 ハイヒール・リンゴ 1961年8月9日生まれ、大阪府枚方市出身。NSC1期生。モモコとコンビを結成し83年デビュー。95年上方漫才大賞受賞。テレビでも多くのレギュラーを持ち、司会術や仕切りのうまさには定評がある。2010年から大阪学院大学で金融論を学び、名誉博士号を授与される。

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