元西武ドラ1玉野宏昌“清原の後継者”は保険マンで奮闘 猛勉強で宅建、FPも取得

生命保険会社でライフプランナーとして働く元西武の玉野宏昌さん=都内(撮影・開出牧)
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 巨人へFA移籍した清原和博氏の背番号3を1996年に継承した西武のドラフト1位、玉野宏昌さんは今、保険の営業マンとして新宿を一望できる高層ビルで働いていた。今年2月、「ソニー生命保険株式会社」へと転職。3カ月間の研修を終えたばかりの玉野さんは、目を輝かせながら新天地での飛躍を誓った。

 兄貴分の急死が転機となった。玉野さんと同じ年、ドラ2で入団したのが森慎二投手だった。新日鉄君津から入団した速球派右腕はメジャーリーグにも挑戦。その後、西武投手コーチを務めていた昨年6月、遠征先で体調を崩し、多臓器不全で亡くなった。一緒によく飲みに出掛け、「何でも相談できるお兄ちゃんみたいな存在でした」と突然の死に大きなショックを受けた。

 玉野さんは森さんの死より以前、2つの国家資格を得ていた。1つは宅地建物取引士、もうひとつはファイナンシャルプランナー(FP)という、いずれも難易度の高いもの。宅建の合格率は15~16%しかない。プロ野球界での宅建取得は玉野さんも「西武時代にお世話になったコーチの伊原(春樹)さんが持っていると聞いたことがありますけど、他にはいないのでは」という。前職の一般企業勤務時に金融や不動産に興味を持ち、「宅建は4年前、FPの方は3年前に合格しました。平日は3時間、土日は5時間ぐらい毎日勉強していました」と振り返った。

 森さんの死に直面し、「僕も結婚して子供がいるので死の価値観が変わって…。保険の知識を持っているので、何か人の役に立てるかなと思いました」とFPの資格を生かせる保険会社への転職を決意した。

 高卒で入団した西武時代、華々しい活躍はできなかった。3年目の1999年に初めて1軍昇格したがわずか6試合の出場に止まった。3年間で結果を出せず、背番号も「33」に変更された。西武在籍の8年間の成績は123試合で260打数54安打、4本塁打26打点、打率・208だった。2004年オフに中日へトレード移籍も出場機会なくユニホームを脱いだ。

 栄光の背番号3への思いを尋ねると「僕には重かったです」と笑った。実は当時、西武担当だった記者も、玉野さんの下積み生活を知るだけに、新たな道での成功を願ってやまない。

 「ライフプランナーは、人生のプランニングをする仕事。ご契約をいただいて終わりという仕事ではないんです。一生涯、お客様を守っていくことが大切」と玉野氏。背番号3を背負った男は、お客様の未来と安心を背負っていく。(デイリースポーツ・中村博格)

 ◆玉野宏昌(たまの・ひろまさ)1978年6月1日、神戸市出身。96年、神戸弘陵学園高からドラフト1位で西武に指名された。00年には自身最多となる69試合に出場し、打率・209、2本塁打、13打点。04年オフに中日へトレード移籍も、出場機会はなく1年で戦力外となり現役を引退。引退後は配送便のトラックドライバーや一般企業勤務を経て、ソニー生命保険株式会社新宿ライフプランナーセンター第8支社に勤務。既婚、1児の父。

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