【野球】ホテルマンから異例の“球界復帰” DeNA三島マネジャーの“洞察力”「やりがいの繰り返しで信頼関係」

 DeNA・三島輝史マネジャー
 女子社員に囲まれ笑顔で入団発表した(左から)成瀬、田中、内、杉原、三島、藤井=東京・ロッテ本社(2003年)
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 プロ野球におけるチームマネジャー。スケジュール管理からチーム運営の全般を担う、いわば“心臓”だ。DeNA・三島輝史マネジャー(40)は、元ロッテの投手として5年間の現役生活を送り、引退後はホテルマンを経て球界に復帰した異色の経歴を持つ。チームを影から支える裏方にスポットを当てた。

 マネジャーがいなければチームは回らない。気配り、目配り、心配り。三島さんはこの3原則を胸に、休みなく動く。

 本拠地開催のナイターであれば、午前10時半頃に球場入り。メールをチェックし、各部門のミーティングに参加。試合前は出場選手登録、抹消といった公示手続きなど、NPBに提出する事務作業もこなす。その他、遠征時の移動便、宿舎の手配など、球団の運営全般を担う仕事は多岐にわたる。常に先読みして動く姿は、前職で磨かれたスキルが根底にある。

 名門、大阪桐蔭では元阪神・西岡剛氏の1学年下で、本格派右腕として03年度ドラフト5巡目でロッテに入団。1軍登板を果たせず08年10月に戦力外通告を受け、同年限りで引退した。

 第二の人生を模索する中で、三島さんが選んだのはホテルマンだった。「たまたまホテルで食事した時に、サービスマンの笑顔がめちゃくちゃ素敵やった。野球以外でも、人にそういう気持ちを与えられる仕事ってあるんやなって」

 09年、千葉県内の大手ホテルに就職。「宴会販売課」に配属された。「宴会場の営業が主でした。法人担当で、飛び込みでセールスをすることもありました」。見よう見まねで業務と格闘。「お金の流れや社会の仕組みも勉強した」。新聞を定期購読し、ビジネスマナーもたたき込んだ。

 忘れられないエピソードもある。ある企業へ飛び込み営業に赴いた時のこと。エントランスで警備員に「アポイントを取らないとダメ」と言われ「分かりました。また来ます」と引き返そうとした。すると、その警備員から「そんな気持ちがダメなんだ」とまさかの叱責(しっせき)。「『アポを取っていなくても飛び込む気持ちが大事。そんな弱い気持ちでは契約は取れない』と説教されました。この出来事が土台になった部分はあります」。苦い経験は反骨心の源となったという。

 ホテルマンとして自信を深めつつあった頃、横浜(現DeNA)のスタッフから打撃投手の打診が舞い込んだ。「コントロールが悪くてクビになっていますし、自信はありません」と返答。ただ、再び球界から声がかかったのも何かの運命だと受け止めた。「僕が野球を辞めると伝えた時の両親の寂しそうな顔が、どこかで引っかかっていた」。11年、球団編成部スタッフとして入団した。

 ビジネスマンとしての経験は自身の世界観を変えていた。「誰かが裏で支えていて、当たり前が当たり前じゃないということが、選手の時は気付かなかった。ホテルでの2年は人生のターニングポイント」。副寮長、サブマネジャーなどを経て昨季からマネジャーに。実直かつ柔軟性に富む仕事ぶりは相川亮二監督(49)、コーチ、選手からの信頼も厚い。

 理念のひとつは洞察力。ホテル時代に培った対人スキルが生かされている。「マネジャーである以上、堂々としていたい。僕が揺れるとチームが揺れる。ごまかさないし、ウソはつかない」。裏表のないやりとりで、人との絆が生まれる。「僕は雑務を雑務と捉えず、自分にしかないやりがいやと捉えています。そのやりがいの繰り返しで、信頼関係ができていく」。DeNAには最強の裏方が控えている。(デイリースポーツDeNA担当・福岡香奈)

 ◆三島輝史(みしま・てるふみ)1985年10月5日生まれ、大阪府出身。大阪桐蔭では2年夏の甲子園に出場し、2003年度ドラフト5巡目でロッテに入団。1軍登板が果たせないまま08年限りで現役引退。大手ホテルに就職し、2年間の勤務の後に11年に横浜(DeNA)に球団職員として入団。編成部をはじめ副寮長、広報、サブマネジャーを経て現職。

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