【野球】マー君の起点となった初めての甲子園 「打席に入った時の方がビックリ」 05年センバツの思い出とは
デイリースポーツ記者が独自目線で注目した人物、スポーツなどを掘り下げる「クローズアップ」(随時掲載)。今回は昨季日米通算200勝を挙げた、巨人・田中将大投手(37)の春の記憶をたどった。駒大苫小牧(北海道)2年時に同校の夏連覇に貢献、3年夏は準優勝と、成し遂げた数々の偉業。その中でも2年春に背番号「10」で立った初めての甲子園に焦点を当て、2005年の選抜高校野球大会を振り返る。
初めて見た壮観な景色に、田中将は心を奪われた。2年春、初めて立った甲子園。スタンドから眺めていた聖地とは違う。どこか非現実的な広がりを見る。フィールドに立って初めて知った独特の空気は、あまりにも大きな夢舞台だった。
当時の記憶を問えば、意外な答えが返ってきた。「マウンドからどうかというより、バッターボックスに入った時の方がビックリしたかな。ピッチャーと対峙(たいじ)した時、球場の景色、バックスクリーンの方向への抜け感を見た時に『ああ、すごいな』って思ったのを覚えています」。甲子園で数々の軌跡を残す日々は、この日から始まった。
背番号「10」。登録は控え投手だったが、開幕試合の戸畑(福岡)戦で聖地のマウンドに上がった。「やっぱり緊張しました」と振り返るが、いきなり6安打1失点の118球完投勝利で春1勝を記録。独特な雰囲気にも動じない。続く神戸国際大付(兵庫)戦はチームとして敗れたものの、中継ぎで4回をパーフェクトに抑え、4奪三振の快投を見せた。
全国大会デビューは背番号「2」で、捕手としての出場だった。1年秋の明治神宮大会。チーム事情でマスクをかぶる日々が続いていたが、準々決勝の羽黒戦(山形)でついに先発し、投手としての道が開けた。この試合は6回10安打4失点で敗戦投手になった。
「高校はピッチャー、一本でいこう」。兵庫県伊丹市立松崎中を卒業したとき、自分自身と約束した強い覚悟が胸にはある。2年春は、選抜直前の練習試合も捕手として出場。チーム事情に揺らいだこともあったが、当時を「センバツでいい投球をして、そこからはもう投手専任。キャッチャーはやらなくなりましたね」と懐かしむ。投手で勝負したいという信念を貫き、進むべき道は一本に定まった。
初めて足を踏み入れた聖地が見せてくれた景色は、田中将の糧だったのかもしれない。「高校生がなかなか大勢の前でプレーすることはない。ああいう舞台で投げるということは、自分を強くする。同じような場面になった時に成功体験があれば、経験していないよりはスムーズに入っていきやすい。自分にとってそこまで大きな舞台というのは初めてだったんで、いい経験でした」。未来の自分を支える礎。後に、幾度も大観衆の前で腕を振ることになる右腕にとって、この春は確かな起点となった。
甲子園には魔物がいる、という言葉がある。独特な景色も、大観衆の圧力も全てが特別だった。その夏には甲子園胴上げ投手になり、翌夏は決勝再試合という高校野球史に残る1戦で涙をのんだ。最後にあと一歩で届かなかった物語は残酷で、19年後に200勝右腕まで上り詰めた序章だ。田中将の原点は、聖地の空気を知った春にあると思う。(デイリースポーツ巨人担当・松井美里)





