【野球】危険球退場になった巨人清原への頭部死球 引退後のまさかの再会「おかげで店が軌道に」パティシエに転身した元カープの小林さん

 サイドスローの中継ぎ投手として広島で活躍し、現在は北海道フロンティアリーグ所属の別海パイロットスピリッツの投手コーチを務める小林敦司さん(53)は、危険球退場になったことがある。1999年の巨人戦で清原和博選手に頭部死球。乱闘寸前となったその場面はテレビなどでも取り上げられてきた。現役引退後、パティシエに転身し東京・代官山でカフェを経営していた時代に再会した清原さんとの思い出とは。

  ◇  ◇

 頭部死球を受けた清原さんから鬼の形相でにらみつけられたのは、99年4月14日の東京ドームでの巨人戦だった。

 「もちろん覚えてます。頭に当ててしまいましたから。退場になることも、なかなかないですからね。険悪ムードになりました」

 小林さんの脳裏には当時の光景が鮮明に刻まれている。

 先発の黒田博樹投手が三回に杉山捕手に死球を与えており、八回の清原選手への頭部死球で巨人ベンチは怒り心頭。ベンチから選手が飛び出し乱闘寸前になった。

 直接、本人に謝罪するのも容易ではない時代だった。

 「今みたいに他チームとの交流がなかったので、次の日もベンチに行って謝ることができなかった。清原さんと親交があるキャッチャーの西山(秀二)さんと、金本(知憲)さんに謝罪をお願いしてたんです」

 ようやく、自分の口から謝罪を伝えられたのは、のちに広島市民球場で行われた試合の前だったという。巨人は球場近くのホテルに宿泊しており、選手たちは徒歩で球場入りしていた。

 「清原さんが最後に来るのは知ってたんで、ライト側の入り口のところでずっと待ち伏せしてたのを覚えています」

 清原選手からは、西山さんと金本さんに礼を言うよう返されたという。「こちらの謝罪が伝わってたんだなとホッとしました」と緊張の瞬間を振り返った。

 現役を引退後、小林さんは清原さんと予期せぬ再会を果たす。パティシエに転身してオープンした東京・代官山のカフェレストラン「2-3Cafe Dining」をテレビ番組のどっきり企画で清原さんが訪れたのだ。

 「僕は清原さんが来るって知らなくて、ものすごく緊張しましたよ。清原さんにとっては(死球は)いいことじゃないから、仕事のオファーだとしても断ってもいい話じゃないですか。それでも受けてくれたことに優しさを感じました」

 修行を積んで独り立ちし店を出して間がないころの大物の来店。番組が放送されると反響を呼び、客足は一気に伸びたという。

 「自分が野球選手だったことをあまり出さずにお店をやってたんですが、知ってもらえることになってすごく感謝してます。おかげで店が軌道に乗った。あれがなかったら2、3年で終わっていたかもしれない」

 開店したばかりのお店が広く知られるきっかけを作ってくれた清原さんへの感謝は尽きない。自慢の自家製チーズケーキを食べた清原さんは、その後もケーキを注文してくれたという。

 「頼んでくれること自体がうれしかったですね。他チームで、まして自分は(死球を)当てた方の人間なのにね。ものすごくあったかい人ですよね」

 地域おこし協力隊として北海道・別海町に移住し、別海パイロットスピリッツの投手コーチを務めるために小林さんは今年5月に店を閉じた。だが、カフェのオーナーでありパティシエとして過ごした15年の中で、清原さんが忘れがたいお客さんであるのは間違いない。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇小林敦司(こばやし・あつし)1972年12月8日生まれ。東京都出身。拓大紅陵高から90年度のドラフト5位で広島に入団。サイドスローに転向して95年7月29日の中日戦でプロ初勝利。99年に30試合に登板。00年にロッテ移籍し同年オフに引退。プロ通算11年で59試合に登板し1勝1敗、防御率4・40。引退後はパティシエに転身。2011年から25年5月まで東京・代官山でカフェを経営。北海道別海町に移住して別海パイロットスピリッツの投手コーチを務める。

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