【野球】センバツV投手 阪神で内野手転向 ミスター・タイガースから「グッチ」と呼ばれ伝説の3連発も目撃
東京・岩倉高校のエースとして初出場したセンバツで優勝投手となった山口重幸さん(59)。卒業後はドラフト6位で阪神入りし、内野手に転向した。センバツでの快投だけでなく、ひょうきんなキャラクターでも全国的な注目を集めていたルーキーは、初参加となった阪神の春季キャンプでミスター・タイガースから「グッチ」のニックネームを付けられた。
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4番エースでセンバツを制した山口さんは、プロ入り後すぐに内野手への転向を言い渡された。
「プロではピッチャーはやってないですから。球が遅いのも魅力はないと思うんですよ。(阪神からは)野手でとりますって言われてたので、外野手だと思って外野のグラブを用意してたんです。そしたらキャンプ初日だったかな、内野をやれって言われて」
その年の高知・安芸キャンプで、吉田義男監督は1、2軍合同キャンプを実施し、全員ノックを行うなど活性化を図った。初日から山口さんのキャッチボールの相手を務めてくれたのはミスター・タイガース、掛布雅之さんだった。
「エーッ!て感じでしたよ。プレッシャーでしたね。向こうからの指名です。やりたいって言ってくれて。そうじゃないとやれませんよ。関東つながりで言ってくれました」
千葉・習志野高出身の大先輩は、センバツV投手で、しゃべりでも全国の注目を集めた東京出身のルーキーをいきなり「グッチ」と呼んでかわいがってくれた。
「掛布さんが『オイ、山口。だいたい、グチがつく名前はグッチって言われるんだ』って。それからグッチ、グッチって呼ばれるようになって。いい思い出ですね」
守備と走塁は、セ・パ両リーグで盗塁王に輝き、高い指導力で知られていた河野旭輝守備走塁コーチから徹底的にしこまれた。掛布氏、同じ内野手の永尾泰憲氏のベテランと3人で毎日のように特守を受けた。新人がエラーを連発して特守はなかなか終わらなかった。
河野コーチからは3年間付きっきりで英才教育を受けた。秋にアメリカ・フロリダで行われる教育リーグにも1年目から一緒に参加。メジャーを目指す現地の若手たちと試合を重ねる中で、守備力を磨いていった。
「3年間、守備ばっかりでした。河野さんには頭が上がらないです。走塁、フォーメーション、バントシフトやカットプレー、足の運びとか、メジャースタイルでね。全部教えてもらいましたから」
2014年に死去した恩師への感謝を口にした。
入団1年目の85年は阪神にとって歴史的なシーズンとなった。
山口さんは2軍で泥にまみれていたが、新人には交代で本拠地でのナイターでスコアラーの手伝いをする当番があった。4月17日の巨人戦。バース、掛布、岡田彰布選手のバックスクリーン3連発を、山口さんはネット裏で体感した。
「目の前ですごいのを見ました。ほんとにすごかった」
今なお語り継がれる伝説の場面に遭遇した興奮をよみがえらせる。
甲子園での練習の手伝いではバース選手らの打球のすさまじさに触れたこともあった。「親子ゲームの日に、そのまま残ってボール拾いを手伝うんです。川藤(幸三)さんとかに『おまえ、ファースト守れ』ってむちゃを言われて守るんですけど、バースの打球とかすごかったですよ」
山口さんにとって1軍戦出場への道のりはまだまだ遠かった。だが、21年ぶりの優勝へ向かう先輩らのプレーに接し、甲子園の熱気を肌で感じたことは、新人選手に大きな刺激を与えた。(デイリースポーツ・若林みどり)
◇山口重幸(やまぐち・しげゆき)1966年6月24日生まれ。東京都出身。岩倉高校(東京)3年時の84年、センバツにエースとして出場し優勝を果たす。84年のドラフト6位で阪神入り。内野手に転向し10年間在籍。95年からヤクルトで2年間プレーした。通算283試合に出場し41安打、1本塁打、15打点、打率・202。引退後は打撃投手、スコアラーなどを務め23年に退団。24年4月から母校の野球部コーチを務める。





