【野球】広島、日本ハムの先輩・金石さんに感謝でいっぱい 元プロの山口さん「甘えちゃう」と誘い断り今では浜松で料理店経営

 広島、日本ハムで7年間、投手としてプロ野球生活を送りながら一度も1軍登板のなかった山口晋さん(54)は今、故郷の静岡・浜松市で京料理「九花(きゅうか)」の店主として腕を振るっている。広島、日本ハムに在籍した山口さんは、先輩で広島、日本ハム、巨人で活躍した11歳違いの金石昭人さんと交流を続けている。

 山口さんは広島から1989年度ドラフト5位指名を受けた。「3年後にエース」と期待されながら故障もあり、92年オフに3年で戦力外通告を受けた。日本ハムにテスト入団したが、プロ7年で1軍登板なしに終わった。

 93年から日本ハムに移籍した山口さんにとって頼りになったのが、広島時代の先輩である金石投手だった。

 「もうずっとお世話になってます。(広島時代)最初にキャンプに行ったときに『おう、若いの頑張れ』と言ってもらったのを強烈に覚えています。調整で2軍に来られたときにも声をかけてもらった」

 91年オフに津野浩投手との交換トレードで日本ハムに移籍していた先輩は、移籍1年目の92年に自己最多の14勝を挙げる活躍をしており、新天地でも頼りになる存在だった。

 広島から知っていたこともあり「キャンプや僕が1軍のお手伝いで遠征に行ったときは、食事に連れて行ってもらいました」と、日本ハムで大きく距離を縮めた。

 また、広島から93年オフには足立亘投手が金銭トレード、94年オフには長冨浩志投手が木村拓也捕手との交換トレード、95年オフにはカープ同期入団で後にNPBの審判として活躍している秋村謙宏投手が金銭トレードでチームメートになった。

 「あのころは広島から日本ハムにトレードがよくあった。頼りになりました」

 新天地で山口さんも移籍1年目の93年は2軍でフル回転。94年は開幕1週間前まで1軍に帯同していた。あと一歩のところまで来ていたが、最後まで1軍に昇格することはなかった。

 96年オフに戦力外通告を受け、大阪のすし店で修行したが、1年で退職。そのとき「金石さんが『もしよかったらすし屋をやるから一緒にやらないか』と声をかけてくれたんです」とありがたい言葉をもらった。

 しかし、山口さんは「野球をやっているときみたいに金石さんに甘えちゃうんで断りました」とあえて厳しい道を選択した。

 東京で10年の修行を終え、地元の静岡に戻り浜松市内で10年間、雇われ店主として働き、17年に独立して念願の自分の店、京料理「九花」を立ち上げた。弁当と3部屋完全個室で昼夜とも予約制の店を家族で切り盛りする。

 「成功かどうかはちょっと分からないですけど、本当にたくさんの人と出会えて、支えられて。常連さんやおいしいって聞いたからとかって言ってきてくれるお客さんがたくさんいらっしゃるので永く続けたい」

 金石さんは現在、都内で鉄板焼き店とすし店を経営する。お店の周年には花を贈ったり贈られたりして交流をしていた。「最近は『やめよう』と話し合って」と花の交換はないが、誕生日にはコーヒーチケットなどを贈っている。

 野球界から料理界へ入って約30年がたつ。野球関係者との交流は少ないが、金石さんとは今でもSNSなどを通じて交流がある。まだ浜松の店に来ていないだけに「いつか来てほしい」とお世話になった先輩に、成長した姿をみてもらうためにも、調理場に立ち続ける。

◆金石昭人(かねいし・あきひと) 1960年12月26日生まれ、64歳。岐阜県出身。PL学園から78年にドラフト外で広島に入団。91年オフに日本ハムに移籍。97年に戦力外通告を受け、98年春のキャンプで巨人のテストを受け入団した。98年限りで現役を引退。プロ20年の通算成績は329試合に登板し、72勝61敗80セーブ、防御率3・38。右投げ右打ち。通算400勝投手の金田正一、同128勝の金田留広(いずれも故人)はおじにあたる。2000年に元バドミントン五輪選手でキャスターの陣内貴美子と結婚。現在は野球解説者をしながら都内で飲食店を経営。

◆山口晋(やまぐち・すすむ) 1971年4月23日生まれ、54歳。静岡県出身。島田商から89年度ドラフト5位で広島に入団。92年オフに戦力外通告を受け日本ハムにテスト入団。96年オフに戦力外通告を受け現役を引退。プロ7年で1軍登板はなし。右投げ右打ち。現在は浜松市内で京料理「九花」を経営。

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