【野球】門限破りの朝帰りに待っていたのは-相撲の朝稽古 広島カープ実話 九重部屋にて
その昔、広島カープで、こんなことがあった。名古屋遠征中、門限破りの朝帰りが見つかり、お仕置きとして大相撲九重部屋の朝稽古に急行させられた選手が4人。当事者だった川端順さん(元広島投手)が当時を懐かしそうに振り返った。
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その夜はしこたま飲んだ。“日付変更線”はとっくに過ぎていたが、「どうせ門限には間に合わないんだから」と開き直り、さらにグイグイ。
同い年の川端さん、川口和久さん、金石昭人さんと1つ後輩の白武佳久さん。4人はナゴヤ球場への移動を終えたあと早々と街へ繰り出し、何軒かハシゴして宿舎に帰ったのは午前4時ごろだった。
古葉監督時代にはなかった門限が、このころは午前零時に設けられていた。だが、染みついた習慣が時折、顔をのぞかせる。
「あの時間ならまず大丈夫だと思ってたんですが、早朝散歩に出かけようとしていた大下さん(剛史=当時1軍ヘッドコーチ)が、すでにロビーにおったんですよ。“まずい”と思って速攻で部屋に戻ったんですが、池谷さん(公二郎=1軍投手コーチ)から電話が入って、今すぐロビーへ降りて来いと」
30年以上も前の話を昨日のことのように覚えている川端さん。
結局、お仕置きとして、この4人の“悪太郎”を池谷さんが引率する形で九重部屋へ向かうことになった。
名古屋場所が開催中だったとはいえ、何という手回しの早さだろう。また、何という顔の広さだろう。6時には部屋に到着して神妙な顔つきで着座。朝稽古の見学に加わった。
相撲の稽古は迫力がある。何せ巨漢と巨漢がぶつかり合うのだ。ゴツンという頭突きをかましたような大きな音も聞こえてくる。
その様子を親方はじめ関係者や賓客がじっと見守る。こんな神聖な場所に門限破りの男が4人。
川端さんは張り詰めた空気を感じてはいたが、だんだんまぶたが閉じていくのが分かった。ところが、千代の富士と北勝海が姿を見せると、横綱の迫力とオーラで目が覚めた。
9時を回っていただろうか。ようやく稽古が終了した。しかし、そのあとがまた大変だった。
「僕たちに、ちゃんこを食べて行けと、北の富士さん(当時の九重親方)が言うんですよ。でもフラフラで、食べられないし、飲めないし。そしたら北の富士さんに“そんなことでは巨人に勝てんぞ!”と一喝されましてね」
ほうほうの体で宿舎に戻ると、待ち構えていた大下さんに、「どうや?九重部屋の酒はうまかったか」と冷やかされた。
そして相撲界の厳しさとは比べようもない自分たちの甘さを諭され、ゴメンナサイと言うしかなかった。
「ルール違反に対する処置の仕方が“粋”というか。大下さんは厳しい人でしたけど、情もあって指導の仕方が上手な人でしたね。野村謙二郎がエラーをしたら、翌朝一番で自らトンボを持って、グラウンドをならすような人でしたから。見習うべきところが多かったですね」
広島カープ今昔物語。ユニークな人がたくさんおりました。
(デイリースポーツ・宮田匡二)