【ファイト】なぜ藤波辰爾の西村修さんへの弔辞が涙を誘ったのか 18年間もの絶縁から2人を師弟関係に戻した「無我」の2文字

 2月28日にがんのため53歳で亡くなったプロレスラーの西村修さんの通夜と告別式が7、8日に東京都文京区の護国寺でしめやかに営まれた。プロレス関係者をはじめ、多くの参列者が故人を悼んだが、新日本プロレスや無我で師弟関係にあった藤波辰爾(71)は両方の式に参列。告別式では弔辞を読み「君に無我をささげます」と結んだ。師弟の絆そのもので、18年間絶縁するきっかけにもなった言葉を最後に贈り、聴衆の涙を誘った。

 「君の弔辞を私が読む。こんなに切ないことはありません」。祭壇で眠るかつてのまな弟子に、藤波は悲痛に語りかけた。

 無我-。辞書を引けば「我欲、私心のないこと」などという意味がある。1995年、新日本のスターだった藤波が「プロレスの伝統に回帰する」というコンセプトで立ち上げた興行に、当時若手だった西村さんは旗揚げから参加。黒のショートタイツで、大技に頼らずクラシカルな技を駆使する姿は、やがて西村さんの代名詞となった。

 ただ2007年、その無我でのトラブルが発端となり師弟関係は断絶。西村さんはガウンに「無我」の2文字を背負い、藤波は団体を「ドラディション」に改称するに至った。

 約18年にわたって絶縁状態が続いていた今年1月31日、後楽園ホールで行われた「ジャイアント馬場追善興行」で、闘病中の西村さんは体調不良で欠場した。そして代理として出場したのは、かつての師だった。西村さんの妻、恵さんは、夫と藤波の関係性について詳しくは知らなかったが、代わりに会場に行ってほしいと頼まれた。

 その際、たもとを分かった詳しい経緯を聞いた上で「藤波さんにありがとうと、謝罪の旨を伝えてほしい」と言づかった。「会ってくれないかも」と覚悟して向かったが、初対面した藤波からは「全く気にしてないから、この試合に出たんだよ」と逆に気遣われたという。

 藤波からはお見舞いに行く意向も聞いたが、西村さんなりの意地が邪魔をした。「夫も会いたかったと思うが、どうしても病院のパジャマが(恥ずかしいと)。あと(体中に)管がつながっていたのもあって、藤波さんにそんな姿ではお会いできない、失礼になるからちゃんとした格好で会いたいって」。当初3月4日に退院予定だったため、雪解けの対面を果たすはずだった。しかし、容体が急変。かなわなかった。恵さんは「1月31日の試合のおかげで夫はたぶん安心したと思います。ずっと気にしていたので」と涙を浮かべて代弁した。

 藤波は7日の通夜に参列後、目に涙を浮かべ数十秒間絶句。「顔を見たけど彼、何も問いかけてくれなかったな。もっと(病状がひどくなる)前に会いたかったね。お互い性格が似ていて、つまらない意地を張って」と無念さをにじませた。

 そして翌日、弔辞を読んだ。「もう何も(過去を)気にせず安心して休んでください。最後まで誇り高く生き抜いた君に“無我”をささげます。お疲れさま」。2人の絆そのものだった2文字で見送り、最後に師弟関係に戻った。出棺の時になり、別れを惜しむ名残雪がちらついていた。(デイリースポーツ・藤川資野)

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