【サッカー】高卒→オランダ→11年後J1 「成長するため」決断した異色経歴の道 川崎DFファンウェルメスケルケン
Jリーグが23日に開幕する。3年ぶりの優勝を目指すJ1川崎で注目を集めるのが、オランダ1部・NECから加入したDFファンウェルメスケルケン際(29)だ。高校卒業後にオランダリーグへ挑んだ背景、11年後にJリーグ入りを決断した異例とも言える経歴の裏には、自らを高める飽くなき挑戦心があった。
第一印象は柔らかな笑顔が似合う好青年。「本当にいいチームに合流したと思う」と新天地での充実感がにじむ。その経歴をたどると、優しいたたずまいと対照的な芯の強さをうかがい知れる。
オランダ人の父と日本人の母を持ち、オランダで生まれて2歳で日本へ移り住んだ。人生の転機は、小学校卒業後に訪れたオランダだった。
「2歳まで育ったところを見ておくのは大事なことだ、と両親が連れて行ってくれた」と春休みに2週間の家族旅行。何げなく「サッカーがしたい」と話した際少年は、父の知り合いなどを経てNECとドルトレヒトの下部組織の練習に参加した。
「結果的に2週間まるごと、観光ではなく毎日その2チームへ行った」。それは刺激的な時間となった。「プロになるために自分の席を譲らない戦いを、その年代からやっていたので」。そして芽生えたのは「そういう選手たちに将来的に勝ちたい」という気持ちだ。
思いは日増しに大きくなる。日本で志望の国立大学を目指すか、オランダでプロを目指すか-。ただ、受験勉強中も「受かっても(オランダに)行きたい気持ちが芽生え始めた」という。
「もう一つ大きな自分になるためのチャンスが目の前に転がっている。あのタイミングでつかまなければ一生しないというのが自分の中にあった」。だが、一介のユース選手にオファーがあるわけではない。自らのプレー映像を集め編集し、プレーヤーズビデオを制作。オランダの各クラブへメールで送り、ドルトレヒト加入へ結びつけた。
それから11年-。オランダのクラブを渡り歩き、さらなる成長への挑戦に選んだのがオランダ国外でプレーすることだった。決断の理由の一つに日本代表への思いがある。16年のリオデジャネイロ五輪直前にU-23代表に招集されたが、本戦出場はならず。「選手としてすごい脂がのっていた時期だった」というズウォレ時代は膝の故障に見舞われ、A代表に届いていない。
では、なぜJリーグなのか。直前にはドイツでトライアウトも受けていたという。より成長を求めるならば欧州のクラブへ…と考えるのが自然ではないか。ただ、そこにも彼らしい哲学がある。
「どう捉えるか。成長するためにこの国に行くというより、選手としてはどこのチームに行くかの方が大事だと思う」。選んだ道は「フロンターレは(自分が)成長できるチーム」だった。
「フロンターレサッカーの歯車の一つとしてしっかり機能していけば、代表の人たちも見に来てくれる。そこを目指せるチームだと思う」。異例の経歴も、ひもとけば信念を貫いた一本道だ。「座右の銘は『至誠』。その言葉が好きなので」。至誠天に通ず。まだ見ぬ景色を目指し誠実に、ひたむきに、走り続ける。(デイリースポーツサッカー担当・中田康博)
◇ファンウェルメスケルケン際(ふぁんうぇるめすけるけん・さい)1994年6月28日、オランダ生まれ。2歳で山梨県に移り住み、08年からは甲府の下部組織に所属。高校卒業後はオランダに渡り、オランダ2部・ドルトレヒトに加入した。その後はカンブール、ズウォレを経て23年にNECと契約。今年1月に川崎加入が決定した。16年にはU-23日本代表に選出されてトゥーロン国際大会に出場。178センチ、73キロ。




