【野球】藤川球児が「22」の前に背負った2つの背番号 「変えられてたら、こんなに平気じゃない」

 オリックスが26年ぶりの日本一に輝き、今季のプロ野球全日程が終了した。勝利の美酒に酔う者が存在する一方、この季節は球界の厳しさを痛感する時期でもある。日本一のオリックスでも一夜明けた31日には、前夜のビールかけに参加していた松井雅人捕手(34)が戦力外通告を受けた。

 今から20年以上前、阪神担当だった記者は、若手時代の藤川球児投手の契約更改後囲み会見を取材した。1軍選手なら球団事務所で用意された椅子に座っての対応だが、2軍を主戦場にする若手は違う。トレーニングウエア姿の右腕は球団寮の玄関前に現れ、立ったまま4~5人の記者の質問に答えていた。

 ブレーク前で、直球も140キロそこそこだったと記憶している。当時の本人が「これが持ち味やから」と自信を持っていた右打者のアウトローへの球筋には、今思えば火の玉ストレートの片鱗があったかもしれない。しかしこの頃の右腕は故障がちで、2軍施設でリハビリに明け暮れることも多かった。

 契約更改後だから戦力外はありえない。ただ、念のため「球団から何か言われたことは?例えば背番号が変わるとか」と質問をぶつけてみた。右腕の答えは「背番号変えられてたら、こんなに平気じゃないですよ」。間髪入れず、にこやかに明るい声で返してきた。

 ところが、だ。この数日後「30」だった背番号が「92」に変更されると発表された。表向きには心機一転で「きゅう(9)じ(2)」の語呂合わせともされたが、降格やはく奪といったネガティブな印象もぬぐい去れなかった。自身もそう考えていたから、仮定の話として「変えられてたら、こんなに平気じゃない」と言ったのだろう。すでに通告を受けていたのかどうかは分からないが。

 一般的に若い数字から大きな数字への変更は、チーム内での序列が下がることを意味する。となれば、そのままだとトレードや戦力外通告という道が待っていることは想像に難くない。ちなみに「30」は1人を挟んで、02年オフのドラフトで指名された久保田智之が背負った。後にJFKとして球界を席巻する2人の間で背番号が行き来したことになる。

 故障がちで2軍でくすぶっていた「元ドラ1右腕」から「豪腕リリーバー」への大変身。その裏側には、岡田監督やコーチとの出会いなど、さまざまな契機があったとされる。そんな数あるエピソードの中、01年オフの背番号変更も「平気じゃいられない」ほどの衝撃だったのだろう。(デイリースポーツ・弓場伸浩)

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