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【スポーツ】「ヨーコーありがとう」具志堅用高さん 沖縄に届けた勇気 本土復帰50年

 リゴベルト・マルカーノをKOし7度目のタイトル防衛を果たした具志堅(79年1月7日)
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 沖縄が日本に復帰して15日で50年を迎える。今では各分野で沖縄出身者が活躍する。そんな中、スポーツ界のパイオニア的存在、ボクシングの世界戦で13度の防衛に成功した元WBA世界ライトフライ級王者・具志堅用高さん(66)に郷土への思いを語ってもらった。

  ◇  ◇

 沖縄の日本復帰当時は興南高校2年の16歳。具志堅さんは石垣島の実家を離れ、本島の那覇でボクシングに打ち込んでいた。

 「5月15日は6月のインターハイ沖縄予選に向けて一生懸命に練習して、夜は下宿先の銭湯で風呂掃除をしていたと思うんだ。石垣島にいた中学生の頃は、先生や親も一緒に『沖縄を返せ』ってちょうちん行列に参加したね」

 「アメリカ世(ゆー)」から「ヤマト世」へ。沖縄の変化を具体的に示した事象は「通貨」と「交通」だ。

 1958年、沖縄では米軍発行の軍票から米ドルに。「1ドル360円の時代。ステーキが1ドルで、映画が25セント(90円)、沖縄そばや銭湯の入浴料が15セント(54円)くらい。高校2年の8月に山形県でのインターハイに出場して初めて本土に行き、両替で『円』を見た。その年からパスポートも不要になった」

 車の対面交通が米国式の右側通行から、日本と同じ左側通行に変更されたのは78年のこと。現役の世界王者として沖縄県の啓発CMに出演した。「防衛戦前にジャージー姿で撮った。『人は右、車は左!』って」。左右のパンチで説明した。

 東京に出て、同胞の厳しい生活を知った。74年に上京。同郷の先輩ボクサー宅に居候した後、とんかつ店に住み込みでアルバイト。「沖縄出身者はアパートを簡単に借りられなかった。沖縄同士、集団で生活する人が多くて、酒を飲んで騒いだりケンカすると大家さんに思われて…。言葉が分からないと言われたり」と振り返る。

 76年に世界王座を奪取。「入場前に『沖縄の人たちのために世界チャンピオンになる』とお祈りしてリングに上がった」。前人未到の13回連続防衛で沖縄の人に勇気を届けた。

 「大阪や名古屋などで沖縄県人会に呼ばれて『ヨーコー、ありがとう!世界チャンピオンのおかげで、俺たちはどれだけ助かったか。沖縄のことをほめられるようになり、仕事がしやすくなった』と。うれしかったな」

 放映中のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」に出演。「あのドラマで島にいた時代を思い出す。酔っぱらってケンカする人とかね。仲間由紀恵さんみたいなお母さんもいたなぁ」と感慨に浸る。

 沖縄戦で多くの庶民が犠牲となり、米国による27年間の占領統治という苦難の歴史を乗り越えた沖縄。「ビルやリゾートホテルが建ち、道路も店も食べ物もファッションも50年前には考えられない変わりよう」と指摘しつつ、「沖縄に帰ると“オバア”の店で復帰前からある食べ物とか買うんですよ」と瞳を輝かせる。今でも半世紀前の沖縄が原点だ。(デイリースポーツ・北村泰介)

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