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【野球】日本ハム球団常務だった故大沢“親分”の粋なクリスマスプレゼント

 ビッグボス新庄剛志監督就任で盛り上がる日本ハム。聖夜を前にその日本ハムを舞台にした、大沢啓二“親分”(故人)の粋なクリスマスプレゼントを思い出した。

 1991年も押し迫った12月20日、当時東京・六本木にあった日本ハムの球団事務所に一人の選手が姿を現した。前年オフ、社会人野球の日本通運浦和からドラフト外で入団した外野手の大田勇治だ。

 26歳という年齢でテスト入団した苦労人だったが、彼に入団時支払われた契約金はなかった。現在は育成選手として入団しても数百万円の契約金が支払われる時代。だが、当時テスト入団では、契約金0円でも仕方がない時代だった。

 この大田は、アマ球界ではそれなりに名前を知られていた。鹿児島商工高(現樟南高)時代には右翼手として2回甲子園に出場。八幡大在学中は九州六大学野球で3回の優勝に貢献している。また、90年の都市対抗では日本通運浦和の4番打者として出場を果たしている選手だった。

 私が日本ハムを担当していた入団1年目の91年は1軍出場はなかったが、2軍では定位置を獲得。70試合に出場し4本塁打、17打点、打率・265を残した。これが球団の目に留まったらしい。

 球団事務所に姿を現したときから大田の言動は変だった。こちらが何も聞いていないのに「ちょっと寄っただけですよ。お金のことじゃないですよ」としどろもどろだったと記憶している。

 なんらかの金銭授受があったのかと思い、球団常務だった大沢“親分”に取材したところ「まぁ、契約金みたいなもんだよ。1軍でバリバリ働いたらもっと出してもよかったんだが…。でも、よくやっている方だし、ささやかなものはプレゼントした」と、2年目の契約金を支払ったことをアッサリと認めてくれた。

 当時、自分の書いた原稿を読み返してみると推定500万円とある。大田にとっては年俸以上の金額だったに違いない。

 このプレゼントに発奮したのか、大田は翌92年には土橋正幸監督(故人)の下、1軍に初昇格。6月には1番打者として起用されるなど、左翼手として先発4試合を含む42試合に出場した。だが、プロの壁は厚く、0本塁打、1打点、打率・167の成績を残しただけで、2年間のプロ野球生活を終えた。

 各球団とも今年の契約更改交渉が終盤を迎えている。22日には、オリックスの吉田正尚が1億2000万円アップの4億円プラス出来高払い(金額は推定)でサインするなど、実力の世界にふさわしい話題があふれている。

 だが、私には日曜日朝のTV番組のスポーツコーナーで「喝!」を連発していた、こわもての大沢“親分”が、クリスマスの時期にサンタクロースよろしく粋なプレゼントをしていた事実も決して忘れてはいない。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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