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野村克也さん 沙知代さんへ貫いた40年愛 解任されても騒動のたびに守った

 プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也さんが11日、虚血性心不全のため、84歳で死去した。

 日本プロ野球史に残る活躍を残した野村さん。その影にあり、2017年12月に死去した妻・沙知代さん(享年85)との愛は、野村さんの野球人生までも大きく左右した。

 1人目の妻と婚姻関係を続けていた1972年ごろ、野村さんは沙知代さん(当時は伊東姓)と出会い、交際がスタートした。野村さんは南海に在籍中の69年、34歳の若さで現役選手と監督を兼任。沙知代さんは実質的な“監督夫人”として振る舞うようになった。

 77年9月25日、シーズン2試合を残して野村さんは「女性問題、公私混同」を理由に監督を解任された。沙知代さんの“専横”が問題視された結果だった。オーナーらに囲まれ、「野球を取るのか、女を取るのか」と詰め寄られた野村さんは「女を取ります。仕事はいくらでもあるが、伊東沙知代という女は1人しかいない」とキッパリ。会見でも沙知代さんをかばい続けた。

 現役引退後、野村さんは90年からヤクルト監督に就任し、リーグ優勝4回、日本一3回の結果を残した。沙知代さんにもスポットが当たり、メディア出演が急増。夫妻は94年に、第1回「ナイス・カップル」に選出された。96年に沙知代さんが衆院選に出馬した際には、野村さんも応援演説に立った。沙知代さんのメディア出演は続き、99年には“サッチー・ミッチー騒動”を起こした。

 野村さんが阪神監督当時の2001年には沙知代さんが脱税事件で有罪判決を受けた。事件を受け、監督を辞任した野村さんは「嫁の問題で監督を2度もクビになっているのは、世界中探しても私ぐらいだろう」と話したものの、「老後の蓄えを、と始めたこと」と沙知代さんをとがめることはなかった。

 楽天監督時代の09年には沙知代さんが作詞したシングル「女房よ」を発売。夫妻はいつでもラブラブだった。

 沙知代さんが亡くなった際、野村さんは最期の瞬間まで手を取り、みとったという。その後は、自宅には至る所に沙知代さんの写真を飾り「これからどう生きていけばいいのか。男の弱さを感じてます」とさみしさを隠さなかった野村さん。くしくも、死因は沙知代さんと同じく、虚血性心不全。二人三脚の人生は2年あまりの時間差を経て、完結した。

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