【野球】斎藤佑樹引退…かつて「ハンカチ球場」と名付けられた球場の今

 10月17日、多くのファンに愛された“ハンカチ王子”こと斎藤佑樹投手(日本ハム)が、11年のプロ野球生活にピリオドを打つ。

 斎藤佑樹の名が全国に知れ渡ったのは、2006年夏の甲子園大会。早実のエースナンバーを背負い、マウンドでユニホームの右ポケットからハンカチを取り出して汗を拭う爽やかな姿が人気を博し、一躍「ハンカチフィーバー」を巻き起こした。

 そして、迎えた決勝。相手は田中将大(現・楽天)擁する駒大苫小牧だった。2人の大エースの投げ合いは延長15回でも決着がつかず、翌日に再試合が行われる事態に。再試合では大激戦ののちに、4-3で早実が勝利し、斎藤佑樹は優勝投手となった。当時小学4年生だった私も、テレビで見た“佑ちゃんとマー君”を今でも覚えている。

 そんな2人は、夏の甲子園からわずか1か月半後に兵庫県高砂市で開催された「のじぎく兵庫国体」でも再戦を果たしている。市の担当者によれば、伝説の再戦を一目見ようと球場前は徹夜で並ぶ人でごった返し、異常な盛り上がりだったという。そして、その当時の盛り上がりぶりを形にして残そうと、1年後の2007年10月に高砂市野球場は「ハンカチ・メモリアル・スタジアム」と改名された。

 しかし、その愛称は以外にも短かった。命名から6年後の2013年秋に、同球場は大型の台風による被害を受けた。その際に看板が倒れてしまい、修理するのも難しい状態に。しかし、看板はそのまま再建されることはなく「ハンカチ球場」は静かに歴史に幕を閉じた。

 再建しなかった理由として、担当者は「それまでも何度か修理したりしていましたが、2013年の台風で看板が根こそぎ倒されてしまった。再建となると費用の問題もありますし、正直なところあまり(愛称が)浸透しなかったというのもあったと思います」と説明してくれた。また、斎藤佑樹本人が“ハンカチ王子”という愛称をあまり好んでなかったというのも、一つの要因にあったという。

 現在の球場の担当者は、斎藤佑樹投手の引退についてこう語った。「ケガが多い現役生活だったので、正直(引退の報道を見たときは)驚きと言うよりはよくここまで頑張ってこられたなあ…と。本当にお疲れさまの一言です」。

 高校時代に一躍脚光を浴び、華々しい大学時代を経てドラフト1位でプロの世界に飛び込んだ斎藤佑樹。しかし、プロでの11年間は度重なるケガに悩まされ、1軍で登板する姿はあまり見られなかった。それでも、多くの人が最後まで“佑ちゃん”を応援し続けた。これから先、こんなにも愛された選手はなかなか出てこないと思う。(デイリースポーツ・永井優花)

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