【野球】菅野の代役、金侍・伊藤の大活躍に代役で覚醒した元広島・紀藤真琴の姿がだぶる

 巨人・菅野智之(31)の代役として野球日本代表に緊急招集された日本ハム・伊藤大海(23)の東京五輪での大活躍に、真夏に覚醒した広島・紀藤真琴(56)の姿がだぶった。

 日本ハムのドラフト1位・伊藤は見事な投球で侍ジャパン悲願の金メダル獲得に貢献した。7月31日のメキシコ戦で2回1安打無失点。4日の準決勝・韓国戦でも2回1安打で零封した。試合途中に相手ベンチから「ロジンのつけ過ぎ」と指摘されたが、意に介さず逆にたっぷりのロジンをつける姿は、堂々たるものだった。

 この伊藤の姿に、広島を中心に通算78勝73敗16セーブの成績を残した紀藤を思い出した。中京高時代は野中徹博(56)とともに活躍。控え投手兼外野手として春夏合わせて計3回甲子園のマウンドを踏み、1983年のドラフト会議で広島に3位指名されて入団した選手である。

 入団3年目まではファーム暮らしだったためあまり接点はなかった。だが、87年5月に初登板して以降、担当記者として取材する機会が増えた。特に印象深いのが、プロ野球選手として覚醒の瞬間をみた思いがした1988年8月12日の大洋(現DeNA)戦だった。

 この試合は先発の長冨浩志(60)が三回途中でKO。清川栄治(59)のワンポイントをはさみ、前日の11日に2回投げた紀藤は急きょ登板したが、まさに圧巻の投球だった。

 大洋の誇るカルロス・ポンセ(62)、ジム・パチョレック(61)の強力助っ人陣をストレートのみで討ち取り波に乗った。四回から七回まで連続7奪三振。そのまま試合終了まで投げきり、10奪三振の力投でプロ2勝目を挙げたのである。試合後、紀藤は「1番僕が1軍では若いですからね。元気を出してやらないとね」と言葉を弾ませていた記憶が残っている。

 そんな紀藤との思い出がある。今もそうだろうが、当時の広島はシーズンオフになると大分県湯布院で温泉に入りながらリハビリキャンプを行う。選手はマイカーで広島から別府までフェリーに乗り、その後は陸路で現地入りする。例年は電車を乗り継ぎ取材に行くのだが、88年のオフは川口和久(62)の車に便乗させてもらい、当時住んでいた広島のマンションから湯布院にいった。

 そのときの話である。早朝に湯布院入りしたものの選手は午後の集合時間までフリーとなっていた。そこで、取材も兼ねて川口と川端順(61)と3人で湯布院周辺のゴルフ場でラウンドすることになったのである。そこに、ゴルフ未経験で暇をもてあましていた紀藤を連れていこうという話になった。スコアは覚えていないが、初ラウンドにもかかわらずバーディーも取った紀藤に負け、鼻で笑われたことは鮮明に覚えている。改めてプロ野球選手の身体能力のすごさを体感しその後、私のゴルフ熱は冷めた。

 紀藤は翌年の98年に中継ぎとしてリーグトップの61試合に登板。91年にはリーグ優勝に貢献するまでの投手となったが、あの88年8月12日こそが出発点だと思っている。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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