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【野球】広島・中村奨成の覚醒予感に思い出す、大型捕手として期待された伊藤寿文

 6月19日のDeNA戦でプロ初本塁打も放ち、4年目にして覚醒の予感を漂わせる広島・中村奨成捕手(22)に、捕手として期待されながらながら野手で出場が大半だった、ひとりの選手のことが思い浮かんだ。1983年のドラフト会議で広島から4位指名された伊藤寿文(62)である。

 伊藤は東海大時代、首都リーグで5度のリーグ優勝を経験。その後、社会人の東芝でプレーし、同年にドラフト1位として広島に入団した川端順とのバッテリーで、都市対抗野球の優勝にも貢献した強肩強打の大型捕手だった。

 プロ1年目の84年には34試合に出場し3本塁打。ポスト達川光男として期待されたが、伸び悩んだ。捕手登録だったが、本業でマスクをかぶったのは広島在籍5年間で84年2試合、85年2試合のわずか4試合。試合出場は代打か一塁手としてがほとんどだった。

 この伊藤とは同学年ということもあり、気が合う部分もありグラウンド以外でも付き合いがあった。当時、広島担当だった私の取材対象はもちろん野球選手か野球関係者ばかりで、生の芸能人と話したことなどなかった。その私に、東京遠征の際に当時カメラのCMソングを歌っていた、あるシンガー・ソングライターを引き合わしてくれたのは伊藤だった。

 なぜ、芸能人に引き合わせてくれたのかは今もなぞだが、思えばむさ苦しい私が引き立て役にもってこい-と考えての行動だったかもしれない。

 実は、伊藤に何度か間違えられたことがある。印象に残っているのが当時、JR広島駅の新幹線口の改札を入ったところにあった立ち食いそば屋で、投手の何人かと腹ごしらえをしていたときだった。カウンター内にいた店員さんが「カープの選手ですよね。サインをお願いします」と色紙を差し出してきた。そこにいた投手たちは快く色紙にサインをし、返却しようとしたところ、店員さんが私に向かって「そちらのキャッチャーの人もお願いします。名前はど忘れしたけど、東芝から入ったキャッチャーの人ですよね」と声を掛けてきたのだ。

 もちろん、私は「キャッチャーじゃないですよ。新聞記者です」と断った。当時、東芝から入ったキャッチャーは伊藤ただひとり。後で、伊藤にその話をすると「お前が間違えられるなんて…」と、思いっきり嫌な顔?をされたことを覚えている。

 今、思えば、彼は普通すぎる20代の男で、野球選手としては、人がよすぎたのかもしれない。特に、駆け引きが求められる捕手ならばなおさらだろう。伊藤は89年に移籍したダイエー(現ソフトバンク)では野手登録され、一時期は三塁手のポジションをつけみかけたが、現役を引退した。そのダイエー時代にも一度、食事したこともあり、関係はしばらく続いていた。

 だいぶ前に、九州で実業家として、第2の人生で成功しているとの話を聞いたが、今はどうしているのか。伊藤の活躍を報じた原稿をあまり書いた記憶はないが、私にとっては忘れられない選手のひとりである。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

 ◆伊藤 寿文(いとう としふみ)1959年5月14日生まれ、62歳。愛知県出身。右投げ右打ち。国府から東海大、東芝を経て1983年度ドラフト4位で広島に入団。88年オフにダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、90年限りで現役引退。広島時代は捕手、ダイエー時代は内野手登録。通算成績は127試合に出場し239打数54安打31打点11本塁打。通算打率は・226。

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