【野球】阪神・佐藤輝よ、右手小指に注意を払い、フィルダー、ブラッグスを超えろ!

 男子ゴルフの松山英樹(29)が第85回マスターズに勝ち、日本人の男子ゴルファーの悲願である海外メジャーのタイトルを獲得した。松山はパワーの面でも外国人選手と遜色ないが、野球界に目を向けると、日本人選手はパワー面でやや劣っている。

 MLBで日本人選手が記録した年間最多本塁打数は、松井秀喜さん(46)が2004年、ヤンキースで放った31本である。今季はエンゼルスの二刀流・大谷翔平投手(26)に記録更新の期待がかかるが、日本球界でも大谷以上のパワーを秘める選手が出現した。阪神の佐藤輝明内野手(22)である。4月9日の横浜戦で放った場外弾は今、野球界の話題を集めている。

 実は野球記者時代、横浜スタジアムでの特大弾を放った選手を何人か取材したが、度肝を抜かれた外国人選手が2人いる。ひとりは89年にブルージェイズから阪神に入団したセシル・フィルダー内野手(57)だ。8月13日の大洋対阪神戦でフィルダーは33、34、35号と1試合3本の本塁打を放った。2本目、3本目は球場を飛び越えて、JR関内駅からハマスタへ向かうスクランブル交差点まで飛んだ。当時、虎番の下っ端記者だった私は試合中にもかかわらず記者席を飛びだして、ボールを探し回った。

 記事で振り返ると、34号の場外弾は横断歩道の手前に落ちてそのまま信号を越えて人混みにまぎれ“行方不明”となった。また、35号の場外弾は横断歩道にキャリーで落ち、球場を出て帰路につく少年に拾われて待ち去られた、とある。33号は左翼席に飛び込んでいた。当時の記事では3本の総飛距離は416メートルだ。

 この年から4年後の93年、私は横浜大洋ホエールズから名前が変わった横浜ベイスターズに担当記者となっていた。そのチームの4番打者が、レッズから来たグレン・ブラッグス外野手(58)である。一時期、彼の験担ぎに付き合ったことがある。当時の牛込惟浩担当(故人)から「『試合前のノックのときに、君からグラブを渡してもらうと調子がいいんだ』といってるんだ。頼むよ」といわれ、本人へグラブを手渡すのを日課としていた。ブラッグスはその年、19本の本塁打を放ったが、何本かは場外弾だったと記憶している。

 この2人にはちょっとした不吉な共通点がある。フィルダーは9月14日の巨人戦で、三振した腹いせでたたきつけたバットが跳ね返り、右手小指を骨折。そのままチームにもどることなく退団した。ブラッグスも来日1年目の7月14日のヤクルト戦後、神宮のクラブハウスで転倒し、やはり右手小指を骨折。シーズン終了までの欠場を余儀なくされた。

 佐藤輝には少しイヤ話だが、フィルダーはその後MLBに復帰して本塁打王2回、打点王3回に大打者になった。ブラッグスも翌年、セ・リーグ2位の35本塁打を放ち、ベストナインに選出された。佐藤輝には右手小指に注意を払い、彼ら以上の大打者になってほしい。(デイリースポーツ・今野良彦)

関連ニュース

編集者のオススメ記事

オピニオンD最新ニュース

もっとみる

    ランキング

    主要ニュース

    リアルタイムランキング

    写真

    話題の写真ランキング

    注目トピックス