【ファイト】お天気お姉さん・春日萌花はなぜ闘うのか?3・11が彼女を変えた

“闘うお天気お姉さん、春日萌花
勝利を喜ぶ“闘うお天気お姉さん・春日萌花(左)=(右は勝村周一朗)
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 あの3・11東日本大震災が、未知への挑戦へと駆り立てた。“闘うお天気お姉さん”というニックネームで、四角いリングを暴れ回る女子レスラーがいる。春日萌花(はるひ・もえか)=36歳=だ。

 彼女は単なるアイドルレスラーではない。各種ヒザ蹴りを武器に、デイリースポーツ認定女子タッグ王座、GWC認定6人タッグ王座のベルトを保持した経験を持つ実力者だ。

 実はこの“闘うお天気お姉さん”は単なるニックネームではない。2014年に現役アスリートとして初めて合格率約5%ともいわれる気象予報士の試験に合格。同年10月に気象予報士登録をした、本物の現役バリバリのお天気お姉さんなのである。

 05年2月に女子プロレスラーとしてデビュー。その後、自らの番組を持つラジオパーソナリティーとしても活躍している春日が、気象予報士を志したのは11年3月11日に発生した東日本大震災を体験したことが原因だった。当日、春日は全日本プロレスの石巻大会の参戦する予定になっていた。ところが、仙台駅で新幹線を下車し、地下にある仙石線のホームに向かう所で、地震に遭遇した。春日は当時をこう振り返る。

 「あまり揺れを感じなかったんですけど、半地下から地上に出てビックリしました。看板が落ちて周囲がめちゃくちゃになっていたんですよ。持っていたワンセグでみた津波の映像に、恐怖を感じたのを今も覚えています」-。

 予約していたホテルに1泊はできたが、翌朝停電のため追い出され、東京に戻れず途方に暮れていた春日を救ってくれたのは、仙台の人たちだった。町中で携帯電話の充電をさせてもらい、停電中のコンビニエンスストアからはお菓子をわけてもらい、飢えをしのいだという。その後、女子プロレス団体、仙台ガールズの関係者の知り合いが、見ず知らずの彼女を泊めてくれた。

 その経験が、元々興味があった気象予報士を志すきっかけとなった。「震災があったときに、仙台の人に助けてもらいました。日本は災害が多い国。災害に対する知識があれば誰かを助けられる人間になれる。なりたいと思った」。

 1日3、4時間の勉強はあたり前だった。プロレスや総合格闘技の練習がないときは一日中机に向かった。練習後は家に帰らずファミレスなどで朝まで勉強することもあった。そんな生活を3年半続け、ついに超難関を突破した。

 今はその資格を生かし、自らのパーソナリティーを務めるラジオ番組内で、天気の豆知識や災害に対する備えを訴えかけている。

 “闘うお天気お姉さん”と呼ばれる春日だが、単にプロレスラーだけにとどまるつもりはない。「プロレスラー、ラジオパーソナリティー、気象予報士として活動し、周囲の人に笑顔になってもらいたいです」。3・11がマルチな活躍をみせる彼女の新たな出発点だった。(デイリースポーツ・今野良彦)

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