【野球】球団社長兼監督!元メジャーリーガーが独立Lで奮闘する原動力とは

 その男はとても忙しいのだという。

 通常、ドラフトで指名された選手はスカウトの指名あいさつを受け、次の機会に仮契約となる。オリックスが育成ドラフト6位で指名したBCリーグ・福島レッドホープスの古長拓内野手はそれを1回で済ませることになった。古長が忙しいわけではない。所属する福島の監督であり、球団社長でもある岩村明憲氏が忙しいのだ。

 楽天の石井一久GMが監督兼任することになり、話題になったが、岩村監督の場合は球団社長を兼ねている。「ユニホームを着ているときは監督でオフィスに来れば社長です」と笑う。

 監督といっても独立リーグの場合、スタッフが大勢いるわけではない。グラウンドに出れば監督だけでなく、コーチ役も担う。

 「ここではそれが当たり前なんです。チームを運営する上で人件費は抑えないとやれない。一人二役も三役もやってもらわないとチームができあがらない。選手も一人で2ポジションは必須です」

 加えて社長業。球団経営はチームのことだけでなく、スポンサー、マスコミ対応など仕事は山積み。多忙を極めるとは岩村監督を表す言葉だろう。

 社長業が忙しいといっても選手育成に手を緩めることはない。

 「脱いだ靴の並べ方から教えます。気づいたことは言っていかないと。野球だけうまくなればいいというわけではない。野球を通して何を経験して、何を習得できるのか。ここで学んだことをセカンドキャリアに生かせるように仕向けてあげないとと思っています」

 自身も高校からヤクルトに入団し、最初は2軍で過ごした。その間に学んだことを元に選手たちを指導している。

 どうしてここまでできるのだろうか。岩村監督はヤクルトの主砲として活躍しただけでなく、メジャーでもレギュラーを獲得、ワールドシリーズにも出場。2006年、09年のWBCには侍ジャパンの一員として参加、連続世界一に貢献した。輝かしい実績がある。にもかかわらずNPBを夢見る若者たちのために、すべてをささげている。

 「アメリカから戻って楽天に入ったときに東日本大震災がありました。でも楽天の2年間は思うようにいかなかった。福島からお話をいただいたときに何か僕の力で復興のお手伝いができればと思った。それがスタートです。楽天が2013年に優勝したときに東北は歓喜に包まれました。1995年の阪神・淡路大震災のときはオリックスの優勝が被災者を勇気づけた。僕は野球の持つ力を信じています。福島の復興に野球で力になりたい」

 言葉が熱い。野球の力を信じているからこそ本気で言える。2015年から選手兼任監督として福島入り。18年オフには前経営陣の失敗からチーム解散の危機を迎えたが、自ら出資し、存続に動いた。

 「放っておけばチームはなくなっていたと思います。選手もスタッフもみんなが自分に付いてきてくれた。彼らを路頭に迷わすわけにはいかないですから経営に乗り出すことにしました」

 そういう環境の中からチーム初のNPB指名を勝ち取ったのが古長だ。

 「試合になかなか出られなかった選手。驚きの方が大きかったですね。彼はキャプテンよりも年上ですが、キャプテンを立てながら引っ張るところは引っ張ってくれた。試合に出られなくても、くさらずに試合中の声出しから野球に対してひたむきに努力をし続けてくれた。ケガ人が出たらカバーしてくれました。そういうところをオリックスさんに評価していただいた」

 NPBへ選手を輩出する一つの目標は達成できた。だが、社長兼任監督の夢はまだまだ大きい。

 「オールフォー福島です。リーグ優勝、勝つところを県民の皆さんに見てもらいたい。今年はコロナで都会は大変なことになっている。地方の見方が変わる年だと思う。野球からの地方創生をやりたい。野球の力を使って福島が元気だというところを見せたい」

 元メジャーリーガーをここまで熱くさせる独立リーグ。どれだけ忙しくても“野球の力”を信じているからこそ、夢と希望にあふれている。(デイリースポーツ・達野淳司)

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