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【野球】阪神・揚塩球団社長が実現した「奇跡の試合」 甲子園で星稜-箕島OB戦

 プロ野球・阪神の球団社長、揚塩健治氏(60)が9日に、12月1日付で辞任することを発表した。チーム内での新型コロナウイルスの集団感染などの責任を取るとしたもので、記者会見では「私なりのけじめのつけ方」と語った。

 アマチュア野球に関わってきた記者にとって、揚塩氏は甲子園の「球場長」としての印象が強い。人情味あふれる人柄で、球場運営だけでなく、野球を通じて人をつなげる「野球文化」の発展を見据えているように感じていた。

 忘れられないのが、2010年9月23日に甲子園で行われた、星稜(石川)と箕島(和歌山)のOB戦だ。1979年夏の甲子園で延長十八回の激闘を繰り広げた2校は、その後も当時のメンバーが集まり、94年に和歌山、04年に石川とそれぞれの地元でOB戦を開催していた。

 甲子園での開催は、時間との闘いでもあった。箕島の監督だった尾藤公氏は当時、がんで闘病中。恩師を甲子園に連れて行きたいという箕島OBと、それに呼応した星稜OBの思いは強かったが、まだプロ野球シーズンは続いていた。通例ならシーズン中には困難なイベント開催だったが、揚塩氏は各所に掛け合い、翌春にオープンする甲子園歴史館の「完成記念試合」として9月中に実現させた。

 試合前日からは雨予報。当時球団常務になっていた揚塩氏は、前夜祭の会場から後任の粟井一夫球場長(当時)に電話をかけ、「遅くに悪いが、シートをかけてくれないか」と頼んだ。立場を超えた“発注”だったかもしれないが、それほど開催への強い思いがあったのだろう。その言葉を待たずして、阪神園芸によって甲子園のグラウンドはシートに覆われていた。揚塩氏の思いを知る球場職員もまた、この試合開催にかけていた。

 試合当日の甲子園で取材していた記者は、はっきりと覚えている。シートがはがされ、甲子園の土が見え始めるとともに、雲が切れて青空が見え始めた。そこに尾藤氏が到着。ユニホーム姿で車いすで聖地の土を踏むと、観客から拍手が起こった。「感無量です。こんな格好で甲子園に失礼だけど、本当に言葉もありません」と、涙を見せた。

 当時の尾藤氏は一日に何度も投薬治療を受けており、とても外出できる状況ではなかった。しかし、本人の強い意思もあり、短時間限定で来場した。両校メンバー、星稜監督(79年当時)の山下智茂氏、伝説の試合を担当した球審の永野元玄氏ら4審判、両校のプラカード嬢、球場放送の担当者まで当時の顔ぶれがそろった。

 再会に、闘病でやつれていた名将の顔色が見る見るよくなった。試合が始まると、ベンチに尾藤スマイルが戻った。球場に滞在できたのは一回の裏表まで。それでも、満足そうに球場を去った背中は、かつてのようにたくましく見えた。

 尾藤氏はその半年後、この世を去る。伝説の一戦は、奇跡の一戦になった。

 18年1月、揚塩氏の球団社長就任を祝って、両校OBの有志が球団を訪れた。箕島の主将だった上野山善久氏は「揚塩さんのおかげで尾藤公監督ともう一度甲子園に来られた」と感謝した。また、尾藤氏と兄弟のような関係を築いてきた山下氏は、「あの時の尾藤さんの笑顔が忘れられない。揚塩さんがいなければ、あの試合はなかった」と繰り返し言っていた。

 揚塩氏は後に「79年の星稜-箕島戦を自分も見ていて、本当に感動した。自分が今この仕事をしていることにもつながっている。もう一度、何とか試合を甲子園でできないかと思った」とOB戦の開催を振り返った。

 野球の持つ力を信じていた揚塩氏。だからこそ、今回下した辞任という決断は重い。それでも、できればまたいつか、あの情熱を球界のために生かしてほしいと願っている。(デイリースポーツ・船曳陽子)

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