【芸能】2020年にどう響く?故つかこうへい氏の名作「熱海殺人事件」

 「ブスに権利があるか!」「ブスの隣で弁当を食うとまずいんだよ!」「ブスだから殺したんだろう」。大声でまくしたてられる、悪らつな言葉の速射砲。これは北区AKT STAGE(アクトステージ)の公演「熱海殺人事件」で、主人公の部長刑事・木村伝兵衛(時津真人)が取り調べ中に吐くセリフだが、それらは2019年暮れの空気に触れたときどう響くのだろうか-。

 間もなく2020年、「令和」も2年目。東京オリンピックという一大行事を控える年は、「蒲田行進曲」などを生んだ劇作家・演出家のつかこうへいが2010年7月に逝去してから10年という節目の年でもある。

 東京都北区で今現在もつかの志を“密教”のごとく引き継いでいる集団がこのアクトステージだ。北区つかこうへい劇団を前身とする同劇団はつかが亡くなった翌年の11年に結成され、現在も年に数回公演を行い、地域で演劇教室も実施している。この冬も2本立て公演「熱海殺人事件」、「以蔵のいちばん長い日」(10~15日に東京・北とぴあペガサスホール)を上演し、さらに「熱海殺人事件」は18日から青森・演劇空間スペースメンでも上演しており22日に千秋楽を迎える。

 「熱海-」はつかこうへいの初期代表作にして、1973年の初演から毎年さまざまな舞台で繰り返し上演されてきた名作だ。劇団内でも練習生の最初のテキストとして使用されるという“聖典”であり、俳優でアクトステージ代表の時津真人(39)は「僕の役者人生の教科書」と言い切る。

 阿部寛の出世作となった「モンテカルロイリュージョン」など派生作品も多く、その都度さまざまな台本が生まれているが、今回アクトステージは原本に近い台本を発掘し、脚色の少ない原本に近いものを使用したという。

 チャイコフスキーの「白鳥の湖」が爆音で流れる中で部長刑事の木村伝兵衛ががなり立てるシーンから始まり、地方からやってきた新任刑事・熊田留吉、婦人警官・水野朋子が、恋人を殺した大山金太郎への取り調べを行いながら、容疑者から“一人前”の犯人に育てる過程で、それぞれ人間性を取り戻し成長していく-。その基本プロットに忠実に進行するいわばネイキッド・バージョンとも言る。

 さらに、演出も粗野ともいうべきミニマムなもので、鼓膜にダイレクトに響くようなセリフのパンチラインと、時津、小山蓮司(29)、尾崎大陸(24)、井上怜愛(21)という4人の役者の熱量のみが物語を進行する動力になっている。

 ただ古くなっただけのものを人は「クラシック」とは呼ばない。多少ほこりをかぶろうとも、時流に左右されない普遍性を帯びたものだけが“古典”として生き残る。ましてや舞台は生き物。演者や時代の空気を同時にフィルムに収めることのできる映画作品などとは違って、絶えず“今”を生きる演者と鑑賞者が、同じ空間で対峙(たいじ)せざるを得ない。

 それだけに、今回の公演は現代、特に若い世代への挑戦状でもあるように感じる。学生割引はもちろん、学生限定の無料招待公演も実施し門戸を開いたのも、新たな鑑賞者を発掘することを意識してのことだろう。

 「熱海-」を初めて鑑賞したという、演劇をやっている埼玉県川口市の男子高校生(17)は「熱量が客席まで伝わってきた」と感銘を受けた様子だった。一方で、「どぎつい表現があって、後でフォローするのかと思ったらそのままだったことに驚いた」と目を丸くしたという。テレビをはじめ、あらゆる表現が表面上は漂白化される現代において、露悪的な表現に新鮮さを感じたようだ。冒頭に紹介した「ブスに権利はない」などというどぎついセリフも、書かれた当時はジョークとしても響いたのかもしれない。だが、今のご時世では笑えないハラスメント発言にすぎない。実際に初回公演では笑い声は起こらなかった。これも2019年のリアルだ。

 また、同じく埼玉県川口市の女子高校生(17)は、他の劇団を見ることもあると言うものの「この劇団の熱量は段違いにすごい」と話す。アクトステージと出会うまでつかこうへいの存在は知らなかったというが、「つかさんの舞台は今見ても古くさいとは思わない。一人一人に共感できる部分があって、人間らしさを感じる」と、こちらも新鮮だったようだ。

 学生無料招待公演を実施する狙いの1つには、時津代表が抱く一抹の危機感もあるという。「今の若い世代はつかこうへいの名前さえ知らない。劇場に足を運ぶ機会もない」。ただ、ここで芝居のイロハを学んだ者として、実際に見てもらいさえすれば若い鑑賞者の心をつかむ自信もある。「ライブを体験してほしいので、いっそ完全無料でやっちゃえと」

 亡くなってから10年がたってなお、つか作品が人の心を打つものは何か。「鍋みたいにいろいろぐっちゃぐちゃにごちゃ混ぜになって、でも最後には愛が出た…みたいな感じですかね」(時津)。非人道的に“人道”を説くとも言うべきか。各登場人物はみな粗暴で、見栄や浅ましさ、さもしさを露悪的にあらわにするが、それは「合わせ鏡」のようでもある。物語を通して鑑賞者も自身の中にある醜悪さと不可避的に向き合うことになり、物語の進行とともに自戒を免れない構造になっている。

 熊田役を務める小山は8年ぶりに「熱海-」を演じたという。地方の貧困世帯で育ち、東京に栄転した新人刑事の熊田は、出世のために恋人を捨てて上役の娘との縁談を進めようとするが、犯人への取り調べを通じて最も葛藤する人物だ。「自分も歳を重ねて、8年前に演じたときとは違い(熊田に)重なる部分もあって、それをそのまま出した。誰が見てもどこかに共感軸を自分の中に見つけられるのがこの作品のすごいところ」と、久々に演じてみて改めて感銘を受けたという。

 今回演出を務めたのは、舞台演出は初めてだというCMディレクターの中野達仁氏(55)。映像畑の職人らしい演出も試みたが、それ以上に原作の本質的な魅力の抽出に腐心したという。喜劇ともとれる「熱海-」だが、「人が1人死ぬってことは悲しいことなんだと。登場人物4人それぞれの背景が見えるようにした」。自身も九州から上京してきた中野氏にとって、地方から東京に出てくる人間の悲喜を描くことは宿命のテーマだ。終盤に流れるBGMの「あなたの船」はあまりに感傷的に響く。

 「熱海-」が背景に描いているのが、急速なインフラの発展とともに産業構造の転換や地方から都市への集団就職など、国民生活が大きく様変わりした1964年東京五輪後の日本の世相だとすると、2020年東京五輪時代に演じられるこの作品はどう映るのか。社会の外形的な風景は大きく変わった。しかし、人は出自や学歴、職業や雇用形態、趣味嗜好で分断され、インターネットやSNSでは罵詈(ばり)雑言がやまない。見栄や虚勢を張って少しでも自分を取り繕わないと周りから承認さられないのではないか…という不安、生きづらさはなくなるどころか、増すようにさえ感じられる。

 ありのままの自分で生きるのは難しいが、人間としての尊厳までは失ってはいけない。「もう少し人間というものを買いかぶってみてはどうだ?」。つかこうへいが主人公の木村伝兵衛を通じて投げかける言葉は、人間が意地や見栄を捨て去れない弱い生き物であるかぎり“救い”であり続けるだろう。

 たとえばインスタ映えしなくたって、食べログでの点数が低くたって、自分にとっては愛すべき味があるはずだ。「熱海-」を観劇した夜、そんなことを思い出して1人街中華に入って、もやしめんをすすった。(敬称略)(デイリースポーツ・藤川資野)

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