【スポーツ】負けこそ絵になった吉田沙保里さんは“超一流”だった

 スポーツ新聞の1面を飾るのは大抵、優勝したり勝ったりした人やチームだ。テレビなどのスポーツニュースのトップを飾るのも同じだと思うが、だからこそ負けて騒がれる選手こそが超一流のアスリートだとよく言われる。先日現役引退を表明したレスリング女子五輪3連覇の吉田沙保里さん(36)も間違いなくその1人だろう。

 五輪と世界選手権を合わせた世界大会16連覇、個人戦206連勝など、残した数字は偉大だ。ただ、2015年からレスリングを取材し始めた筆者にとって1番思い出深い試合は、やはり“霊長類最強女子”がマットに散ったリオデジャネイロ五輪の決勝だった。

 現役最後の一戦となったこの試合にはちょっとした因縁もあり、対戦相手は吉田が01年に個人戦で最後に負けた相手である山本(現ダルビッシュ)聖子さんの指導を受けたヘレン・マルーリス(米国)。吉田に憧れ、徹底的に研究してきた相手の圧力に屈し、持ち味の攻撃を出し切れないままま1-4で敗れた。

 さらに印象的だったのは、試合終了間際に吉田がタックルに入ったところで無情にも終了ブザーが鳴ったことだ。3歳から父栄勝さん(14年死去)にたたき込まれた代名詞の姿勢のまま、しばらく四つんばいでマットに突っ伏して号泣した。その光景が印象的で、不謹慎かもしれないが、映画のワンシーンのようにとてもドラマチックだと思った。

 あの吉田が負けた-。とにかく大事件が起きた。結果的にその日はデイリースポーツでも阪神タイガースを差し置いて1面を飾ることになるのだが、当時のデスクから「4連覇は逃したし、1ページだけの扱いでええんちゃうか」と言われたことがにわかに納得できなかった。

 たしかに五輪報道で大きく扱うべきは金メダルを獲得した選手だ。ただ、吉田は国民栄誉賞も受賞したスターであり、強い女性の象徴だった。その吉田といえども金メダルを獲るマシンではなく、弱さや老いという普遍的な苦悩を抱える人間だったことを示したその敗北を大きく伝えることは、金メダル以上の価値があると思った。

 デスクとの国際電話ではその後も30分近く粘り、何とかもう1ページ増やして扱ってもらった。そういう個人的な思い出を含めて、結果的に現役最終戦となったあの敗戦には強烈な印象が残った。

 1月8日に吉田さんが自身のSNS上で引退を表明した際、世界大会での17個の全メダルを一箇所に集めた写真がアップされた。16個の金メダルと1つだけの銀メダル。10日の引退会見では「最も印象深いメダルはどれか」と質問され、吉田さんはこう答えた。

 「2002年の世界選手権からスタートしてどれも印象に残ってるけど、最後のリオ五輪は一番最近というのもあるが、負けた人の気持ちがよくわかった大会になった。リオの前までは16連覇で一番高い表彰台に上っていて『ああ、やった。勝ててよかった。うれしい』という気持ちしかなかったが、初めて2番目の表彰台に上って『ああ、負けた人っていうのはこういう気持ちだったんだな』と感じたし、こうやって戦う仲間がいたから今まで頑張ってこれたんだなと。負けて得るもの、知るものを思えばすごく大きかったなと。リオ五輪の銀メダルが私的には一番成長させてくれたんじゃないかと思い出に残っています」

 吉田さん自身もさんぜんと輝く金メダルではなくリオ五輪の銀メダルを1番に挙げた。そして何百と積み上げた白星ではなく、あの黒星をそのように大事にそしゃくしていたのだと知り、胸が熱くなった。

 負けた事実が騒がれただけじゃない。勝ち続けたことに価値があった人だからこそ、1つの負けにもたくさんのドラマ性が付随した。引退に際して、やっぱり不世出の超一流アスリートだったんだなとあらためて思った。(デイリースポーツ・藤川資野)

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