【野球】カープOB墓碑銘 鉄人・衣笠さんや長嶋茂雄の幻の本塁打を打たれた鵜狩さんら

 広島がセ・リーグ史上2球団目となる3連覇を達成した2018年、常勝球団に成長した後輩たちの戦いぶりに目を細めたOBが逝った。功績をたたえるとともに故人をしのびたい。

 2215試合連続出場の世界記録(当時)を樹立し、「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄さんは開幕1カ月たらずの4月23日、上行結腸がんのため死去した。71歳だった。衣笠さんは1965年に平安(現龍谷大平安)から入団し、75年のリーグ初優勝に貢献。87年に国民栄誉賞を受賞し、96年には野球殿堂入り。背番号「3」は広島の永久欠番。引退後は野球解説者として活躍していた。

 葬儀・告別式は家族葬で行われたが、6月28日には広島市内のホテルで「お別れの会」が行われ、故人をしのんだ。同会には松田元オーナーをはじめ、緒方孝市監督、盟友として80年代の黄金期をともに支えた山本浩二氏ら球界関係者やファンが別れを惜しんだ。

 衣笠さんのほかには、チーム草創期の50年代から60年代に活躍した投手の鵜狩道夫さんが8月27日に82歳で、11月9日には内野手の藤井弘さんが83歳で逝去した。

 西鉄から未勝利で移籍した鵜狩さんは広島に10年間在籍し、通算55勝(72敗)を挙げた。鵜狩さんで有名なのは、1958年9月19日の巨人戦(後楽園)で長嶋茂雄に本塁打を浴びたが、一塁ベースを踏まなかったため幻の本塁打となった。引退後は故郷の鹿児島でスポーツ店を経営するなど、野球発展に尽力してきた。毎年12月に行われるOB会にも度々顔を出し、後輩たちの活躍を気にかけていた。

 藤井さんは盈進商(現盈進)から55年に入団。低迷期のチームを主軸打者として支え、通算177本塁打を放った。守りに不安があったが、広島カープOB会の安仁屋宗八OB会長は「守備でミスしたら『打ってとりかえしちゃるから』とよく言われた」となつかしんでいた。引退後は指導者として75年の初優勝や80年代の黄金期を支えた。

 12月に入ると13日に広島で初の米国籍選手としてプレーした銭村健三さんが91歳で死去。53年に弟の健四氏とともに広島に初の米国籍選手として入団した。

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