【ドラ1小園物語・下】報徳時代に人間性が成長 勝負弱さを払しょく

 今秋のドラフト会議で、広島は4球団競合の末にドラフト1位で小園海斗内野手(18)=報徳学園=の交渉権を獲得した。今回は、生い立ちや横顔を連載で紹介する。プロへと羽ばたくために心技体を身につけた中学、高校時代を振り返る。

  ◇   ◇

 宝塚リトルを経て、光ガ丘中1年の夏から、小園は枚方ボーイズで汗を流した。現在も「ライバル」の藤原恭大(大阪桐蔭)らがひしめきあった強豪チーム。体験入団の際には当時の鍛治舎巧監督(現県岐阜商監督)から「うちに入れば人生が変わるぞ」との言葉を受けた。「チャレンジしたい」。入団して間もない9月から、遊撃のレギュラーとなった。

 藤原とは当時から競い合う仲だった。階段ダッシュなどのメニューでは「新記録、新記録」とその日の目標を2人で早くクリアし、お互い自主練習。刺激し合い、2度の全国優勝も経験した。田中直樹監督は「練習もやらされるより、やっていた」と評価する一方、「ここぞで弱い時があった。高校でそこが一番成長したのでは」と語る。

 報徳学園では1年春から定位置を奪取。技術面も精神面も成長したが、2年のセンバツ後に大角健二監督からハッパをかける意味で「このままだったら、ショートをクビにするぞ」とゲキを飛ばされた。「横の動きはうまかったけど、正面のゴロを確実にさばくことに上体だけで済ませるところがあった」と指揮官。隙のない守備力を身につけるため、下半身を使う基本動作を徹底的に植え付けた。

 精神面は3年春に大きく成長した。打てない時は態度に表れ、守備や走塁にも影響が出ていた。大角監督からは「プロが見ているのはそういうところ。打つ以外がいかにできるか」と諭された。練習試合では枚方ボーイズからの仲間だった神藤勇介主将が「副主将の責任感が欠けていた」と監督に頼み、途中交代となったこともあった。

 そこから考え方、顔つきが変わる。特に変化を示したのは、夏の東兵庫大会四回戦の滝川二高戦。1-1の七回に決勝2ラン。中学時代の勝負弱さも払しょくし、甲子園出場にもつなげた。

 高校2年から2年連続でU-18日本代表、ドラフトでは大阪桐蔭・根尾とともに4球団競合で1位指名を受けた。報徳学園時代を「人間性が成長できたかなと思う」と振り返り、「努力が大事。一日一日を大切にしていきたい」と力を込めた。固い決意を胸に、プロでのサクセスストーリーを築いていく。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

カープ最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(野球)

    話題の写真ランキング

    写真

    デイリーおすすめアイテム

    リアルタイムランキング

    注目トピックス