【野球】「阪神を戦力外の西岡」に大阪桐蔭の先輩が送った感謝とエール

 阪神から自由契約となった西岡剛内野手(34)のトライアウト受験の報に、阪神OBの萩原誠(45)さんの言葉を思い出した。

 萩原さんは西岡の出身校である大阪桐蔭高の先輩で、同校が夏の甲子園に初出場初優勝したときの4番。いまや甲子園常連校となった同校の原点を作った中心メンバーだ。

 今夏、同校は史上初となる2度目の春夏連覇を達成したが、その後、流れてきたのが西岡戦力外というニュースだった。時を同じくして整体院を独立開業した萩原さんは、母校の快挙を喜びながら、西岡への思いを語ってくれたのだった。

 「大事な大阪桐蔭を有名にした西岡が阪神を辞めたのが急だったのが寂しい。今の大阪桐蔭があるんは、西岡のおかげなんです」

 その言葉の意味を図りかねていると、萩原さんは「分かってませんね」と少しあきれたような顔をして言葉を続けた。

 「僕らが優勝して学校の名前は出ました。けど、その後10年間、甲子園には出られなかった。その原因は僕がプロに入って活躍しなかったから。僕が活躍してたら、大阪桐蔭はもっと人気が出たと思うんです」

 萩原さんは91年に甲子園で頂点を極め、注目のスラッガーとして、その年のドラフト1位で阪神に入団。だが、プロでは高校時代のような華々しい活躍をすることはできなかった。つまり、萩原さんは母校が甲子園初優勝後、低迷した責任は自分にあると感じていたのだ。

 母校の空白の10年間を打ち破ったのが西岡だった。2002年夏。西岡が主将を務めたチームは11年ぶりに甲子園出場を果たした。東邦に1回戦で敗れたものの、その年のドラフトでロッテの1巡目指名を受け入団した西岡は、その後、チームの中心選手となっていった。

 萩原さんは言う。「西岡はロッテで活躍したやないですか。そこから大阪桐蔭は出てきた。選手が集まってくるチームになった。僕はそう思ってます。これは間違いない」。疑問を挟む余地を与えないきっぱりとした口調だった。

 「とっかかりは僕らやったけど、そっから頑張ってくれたから。おかわり君もそうですよ。あの二人が頑張ってくれたから、大阪桐蔭はPL学園を抜くような学校になったんです」。萩原さんは西武・中村剛也内野手の名前も挙げた。

 西岡はロッテからメジャーを経て2012年オフに阪神入りした。12球団随一の熱いファンの期待を背負ってタテジマのユニホームを着る誇らしさ、重圧、苦しみは、それを経験した者にしかわからない。高卒ルーキーながら栄光の背番号31を背負った萩原さんにとって、阪神時代の西岡の動向は気がかりだったに違いない。

 10月初旬。戦力外となったことを報告するインスタグラムで西岡は現役続行への強い意思を表明した。今回のトライアウトはその第一歩となる。

 「西岡のおかげなんです」-。萩原さんが力を込めた言葉は、新たな道に進もうとする後輩への心からの感謝の気持ちであり、エールだったのだと思う。(デイリースポーツ・若林みどり)

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