【野球】“弟分”内川2000安打にヤクルト石井琢コーチも感慨「本人の努力のたまもの」

 語る時にうれしそうな表情になった。ヤクルト・石井琢朗打撃コーチは「本人の努力のたまもの。よく頑張ったと思う。オレなんか全部において抜かれている。大いにリスペクトしてますよ」と目尻を下げた。ソフトバンク・内川の通算2000安打の話題には、感慨がにじみ出た。

 08年まで在籍した横浜での同僚…というよりは、公私ともに面倒を見たひと回り(12歳)下の“弟分”という表現の方がピッタリかもしれない。「野球を教えたというより、メリハリのつけ方じゃないかな。メシとかも一緒に行ったし。よく野球をやり、よく遊んだ」と当時を振り返る。

 内川が高卒ドラ1の新人遊撃手だった01年。前年まで4年連続ベストナインだった石井コーチは「まあ、抜かれることはないだろ」と感じたという。体の線も細く、まだまだの印象。そんなホープが3、4年後には着実に力をつけてきた。

 そして「2000本(安打を自身が達成した06年)ぐらいの頃かな。急激にグンと伸びて抜かれたと思った」という時が訪れる。1月の自主トレで、内川に明らかな変化があった。「ひと冬で体つきがドンと変わって、顔つきも全然違っていた。ボールの飛ばし方をおそらくつかんだんでしょうね」。その後、08年の内川は、現在も右打者歴代最高である打率・378をマークして初の首位打者を獲得。大ブレークを果たした。

 かわいい弟分の成長に伴い、石井コーチの心境にも変化が生まれた。96年から不動の遊撃レギュラー。定位置は「渡したくない」という気持ちしかなかったのが「ウッチーが同じポジションで渡すのなら、潔く(現役を)辞めようと思った」と変わっていった。内川は一塁と外野が主戦場となったため、現実にはならなかったが、それだけの決意をさせる存在になっていた。

 通算2432安打を誇る石井コーチ。「手の届かないところに行っちゃった」とたたえる後輩にも、求めたいものはある。「その先を彼は見据えていると思う。良くも悪くも鑑(かがみ)になってもらいたい。お手本になろう、なろうとするのではなく、悪いところ、失敗もさらけ出せるように。僕がそれを感じられたのは、広島に行ってからだったので」と期待を寄せた。

 内川はまだ35歳。偉業を通過点に、さらに野球人として成長を-。名球会バッターの先輩として、愛情あふれるエールだった。(デイリースポーツ・藤田昌央)

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