羽生、輝きは変わらず唯一無二 間違いなく「何か」を残した演技だった
「北京五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(10日、首都体育館)
2014年ソチ、18年平昌五輪王者で、ショートプログラム(SP)8位の羽生結弦(27)=ANA=がフリーで188・06点をマークし、合計283・21点で4位まで順位を上げた。94年ぶりの大会3連覇は逃したが、回転不足の判定ながら国際スケート連盟(ISU)公認大会では初めてクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)は認定された。滑走後は万感の表情で「全部出し切った」と振り返り、今後については「ちょっと考えたい」と語った。
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強さ。繊細さ。はかなさ。熱さ。どれも羽生だ。一言で言い表せない。記者としては未熟だが、そう思う。
そんな奥深さは、あの記憶が影響しているのかと感じることが、コロナ禍は多かった。
2011年3月11日、東日本大震災。羽生はリンクで被災し、スケート靴のまま避難した。避難所生活も経験。「あれ以上苦しいことも悲しいこともない」との言葉も聞いた。
11年がたつ。当時、羽生はリンクを求めて全国を転々とした。スケートを続けていいのか悩んだという。「被災地代表」と見られる葛藤もあった。それでも応援の力に支えられ、滑り続けた。
コロナ禍。羽生は「大変な状況は震災と同じ」と言った。先の見えない毎日。絶望。それでも「進み、立ち向かわなければいけない」状況があの日と重なった。苦しいからこそ羽生はあらためて応援の力に心を寄せ、「演技で何かを残す」と決意した。その一つが4回転半。挑戦しないなら「自分の気持ちを押し通して練習させてもらう理由がなくなる」と語ったこともある。
羽生は演技後、「報われない努力だったかもしれない」と口にした。夢見た成功とは違ったからだろう。ただ形は違えど、4年前も今日もその輝きは変わらず唯一無二だった。間違いなく「何か」を残した演技だった。
“陰”の多い4年間だったはず。故に放つ光はまばゆい。そしてその輝きに見合う形容詞が浮かばない。これもまた4年前に通ずる。(デイリースポーツ・五輪フィギュア担当・國島紗希)
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