羽生「出し切った」美学貫き果敢に挑戦 転倒4位も跳んだ夢の4回転半
「北京五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(10日、首都体育館)
2014年ソチ、18年平昌五輪王者で、ショートプログラム(SP)8位の羽生結弦(27)=ANA=がフリーで188・06点をマークし、合計283・21点で4位まで順位を上げた。94年ぶりの大会3連覇は逃したが、回転不足の判定ながら国際スケート連盟(ISU)公認大会では初めてクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)は認定された。滑走後は万感の表情で「全部出し切った」と振り返り、今後については「ちょっと考えたい」と語った。
五輪マークが鮮やかに彩るリンクを後にする羽生は、かみしめるように両手で氷に触れ、瞳へとそっと抱き寄せた。そして「ありがとう」-。心からささやきかけた。
「SPであんなことになって、もちろん悔しかった。いろんなことを積んで、正しい努力もしてきたと思う。自分が考え得る全てをやってきた。報われねえなと思いながら。でも最終的にはやっぱり『ありがとう』と。ここまで跳ばせてくれてありがとうと」
3連覇という輝かしい称号は逃した。それでも、五輪という4年に1度の大舞台で、新たな歴史を築いたことは間違いない。
冒頭の4回転半。ふわっと高く跳び上がり、力強く回転したが転倒に終わった。ただ、昨年末の全日本選手権では重度の回転不足で3回転半扱いだったが、今回は4回転半の回転不足扱い。ISU公認大会で世界初認定を受けた。「たぶん今までで一番近かった。今できる、羽生結弦の(4回転)アクセルのベストがあれ」。表情は晴れやかだった。
4回転半は「王様のジャンプ」と、羽生は言う。小さい頃から「夢」に描いてきた憧れのジャンプ。実現を信じて、平昌五輪後も現役を続けた。幼少期に信じた「夢」に、いつしか世界中からの期待が重なった。
苦しかった。挑むたびに硬い氷に体を打ちつけた。前例のない挑戦。「それをできるようにする過程って、ひたすら暗闇を歩いているだけなんです」。平昌五輪翌年には完成できると考えていたが、思い通りに練習は進まなかった。「頭を打って脳しんとうで倒れて死んじゃうんじゃないか」-。大げさではなく「死ににいくようなジャンプ」とも感じた。苦しさと同時に、心に湧いたのは「諦め」だった。「こんなにやってるのにできない。やる必要あるのかな」。心は折れかけた。
強すぎる衝撃に、挑戦前から痛めていた右足首は何度も悲鳴を上げた。今季も同箇所を痛め、昨年11月のGP2戦を欠場。故障を繰り返した結果、「簡単な衝撃でけがをしてしまう」と話したこともあった。関係者によると9日の公式練習中にも右足首を捻挫。痛み止めを服用し、本番は右足の感覚がないほど険しい状況だった。
それでも諦めきれなかったのは「僕の使命」と信じたから。「全部出し切った。僕なりの4回転半はできていたのかな」。羽生はそう誇らしげに言った。
今後については「もうちょっと時間ください。ちょっと考えたい。それくらい今回やりきっています」と羽生。ただ3度目の五輪。「挑戦しきった、自分のプライドを詰め込んだ五輪だった」。感慨深げにそう話す姿は、紛れもなく、五輪を2度制した王者の姿そのものだった。
【羽生結弦アラカルト】
▼生まれ&サイズ 1994年12月7日、宮城県仙台市出身。172センチ。B型
▼名前の由来 「弓の弦を結ぶように凜(りん)とした生き方をしてほしい」という両親の願いから
▼趣味 音楽鑑賞が好き。「モンスターハンターにはまってます」と答えたことも。
▼学業 20年9月に早大人間科学部通信教育課程(eスクール)を卒業。「無線・慣性センサー式モーションキャプチャシステムのフィギュアスケートでの利活用に関するフィージビリティスタディ」をテーマに卒業論文を執筆した。論文ではセンサーを付けて自身のジャンプを測定した結果、ジャンプの「定量的な分析」が可能であると提言。公平で正確なジャッジシステム導入や遠隔指導の可能性にも言及した。「自分が考え得る限りで研究をした。トレーニングにつながるところもあるし、ルールがわかりやすくなるかな」
▼国民的アスリート 平昌五輪後の2018年7月、個人としては最年少となる23歳で国民栄誉賞を受賞。
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