“記者泣かせ”だったイチローからもらった言葉「コワイものなんてなくなったでしょ?」

2004年、仰木監督の殿堂入りパーティーでイチローは恩師を祝福した
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 マリナーズのイチロー外野手(45)が21日、現役引退を発表した。日米両球界で記録と記憶に残る活躍を演じた大選手のラストプレー。一つの歴史が終わった。デイリースポーツでオリックス時代のイチローを取材した担当記者が、エピソードをつづった。

  ◇  ◇

 さすがの仰木監督もここまでの未来は予想してなかっただろう。ふと、そんな思いにとらわれた。

 今は亡きオリックスの指揮官が、鈴木一朗からイチローへの登録名変更を実行に移したのは94年4月。そこからイチローのレジェンドへの道は始まった。ただ、海を越えたメジャーでも「ICHIRO」として、これほどまでに尊敬を集め、まして45歳になってもユニホームを着続けているなんて、誰が想像できただろう。

 「どんな感じなのかなあと思って」。あのときのイチローは鏡に映った「ICHIRO」の文字入りユニホームの背中をうれしそうに確認していた。

 記者泣かせの選手だった。試合後、イチローの取材に行く前には想定問答を考えた。イチローはグラブを丁寧に磨きながら、質問の一つ一つを吟味し、しばし間を取って言葉を返す。想定通りにやりとりが進んだことなんてなかった。「学級新聞じゃないんだから」。時に叱られ、呆れられ…。ほめられたことなんてなかったと思う。

 2004年に行われた仰木監督の殿堂入りパーティー。恩師のために米国から駆けつけたイチローと再会した。握手を交わして、投げかけられた言葉は「僕にあれだけ鍛えられたんだから、取材でコワイものなんてなくなったでしょ?」。やはり確信犯だったかと苦笑するしかなかった。

 鍛えてもらったにもかかわらず、こちらが立派な記者になれたかは甚だ怪しいが、日本球界で歴史を塗り替えていく瞬間を取材できたことは間違いなく私の財産だ。

 次男なのに「一朗」と名付けられたのは、「文字通りの二郎じゃ面白くない、型にはまらない人間になってほしい」という父・宣之さんの願いだった。その願いは現実のものとなった。イチローは唯一無二の存在となった。(94~97年オリックス担当・若林みどり)

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