前田健太、中学世界一ナインと再会 2児のパパ元阪神選手、年商8億選手

 ドジャースの前田健太投手が10日、TBS系「消えた天才」に出演し、「中学時代、日本代表として共に戦い世界一になったメンバーの今を追跡してくれました」と、元阪神の橋本良平捕手、年商8億円の会社経営者となった水野永吉投手ら世界の頂点をつかんだチームメートと15年ぶりの“再会”を果たした。

 番組では2003年のブラジル大会で、マエケンを中心として世界の頂点に立ったナインの現在を取材、紹介した。

 マエケンは、バッテリーを組んだ橋本さんについて、「番長です。ジャイアンみたいなホームランバッター」と振り返り、中学時代にバックスクリーンへ本塁打を打たれた映像も放送された。

 橋本さんは名門智弁和歌山に進学し、阪神に高校生ドラフト3位で入団したが、7年間で1軍出場はなく、阪神のユニホームを脱いだ。「バットが変わったのが一番、大きかった」と金属から木製に変わったバットへの対応に苦しんだという。戦力外を受けた当時については、「悔しいのもあったし、これで終わってしまった。人生が終わったという感覚でした」と振り返った。現在は4歳と2歳の2人の娘を持つパパとなり、仕事は産業廃棄物のトラック手配業務を担当しているといい、「今は前しか向いていない」と話していた。

 マエケンとともにマウンドを支えたひとり、水野さんについて前田は「頭脳派。考えながら打ち取っていくタイプ。一人だけ真面目で、“前田くん”と呼ばれた」と振り返った。水野さんは中学卒業後、慶応高から慶大に進学したがプロには進まず。現在、30歳となった水野さんは都心を一望できる新宿の約120平米の高層マンションに一人暮らしで「家賃はぶっちゃけると、1カ月60万ちょっと」という。

 プロを目指さなかった理由については、マエケンら「日本代表と時間を共有する事で上には上がいると感じた。違ったラインで活躍しようと、起業が面白いのではと思い始めた」といい、現在は料理のウエブサイトなどを制作して年商8億円をたたき出す会社社長となった。

 中学卒業後、明徳義塾高に進学し、甲子園にも出場した左打ちの北出芳敬外野手は「高校2年の時、腰を骨折して、そこで野球を諦めました」といい、祖父母の代から続く銭湯の3代目経営者に転身。前田もこの銭湯には通ったことがあるという。さらに整骨院の学校に入り、銭湯の隣に整骨院も開業した。

 俊足の左翼、森下雄大外野手はJR西日本で車掌として勤務。大学時代に子どもができたため、野球を諦めたという。7番で二塁を守った渡辺大内野手は、兵庫県西宮市内の中学体育教師として勤務し、野球部でも指導している。

 前田がバッティングセンスを高く評価していたという金村侑輝選手は塗装業会社を立ち上げ、社長を務めているという。さらに竹内龍喜投手は秋田でミシンの製造工場で働き、婿養子として8人の大家族を支えているという。「癒やし系で仲良かったです」という岩本直也選手は、トレーニングジムを2店舗経営する社長に転身していた。

 当時のナインの活躍ぶりを目の当たりにしたマエケンは自身のインスタグラムでも、「消えた天才のスタッフさんたちの情報力にびっくり メンバーのまさかの今を知ることが出来ました!」と記していた。

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