【平成物語5】「時代の開拓者」だった野茂英雄

 【平成7(1995)年 野茂メジャーで大活躍】

 1994(平成6)年暮れ、野茂英雄と近鉄球団との契約更改交渉が決裂、その後、代理人・団野村氏を通してメジャー挑戦をぶち上げた。メジャー球団とのタンパリング(事前折衝)疑惑が持ち上がって近鉄が態度を硬化させるなど“騒動”に発展しかけたが、紆余(うよ)曲折を経て挑戦が実現。ドジャース入団後はトントン拍子にスターダムを駆け上がり、日本人選手にとっての『メジャーのパイオニア』になっていく。

 そんな野茂を追って渡米したのは、95(平成7)年8月中旬のこと。すでにド軍の先発の柱となり『NOMOマニア』という言葉まで生み出すほどの活躍を見せていた。近鉄に入団した当時の担当だった当方は入社7年目の中堅だったが、米本土での取材は何せ初めて。若干ビビりながら、最初の取材地・ニューヨークへ飛んだ。

 時のド軍は、NY→モントリオール→フィラデルフィアと続く東部遠征の真っただ中。日本をたつ前、本拠地球団に取材申請書をFAXで送ってはいたが、受理されて取材パスが出ているかどうか、現地に行くまでわからなかった。野茂の取材の前に我々日本の取材陣はまずこれとの“戦い”があった。

 幸いに取材パスはすべて出ていたが、移動には難儀した。NYからモントリオールに向かう際、搭乗すべき空港を間違え、すったもんだしたことを皮切りに、行く先々で困難に直面。中部遠征時のシカゴでは宿泊ホテルの予約が一部取り消されていて、ベッドのない会議室で寝たこともあった。後に「あいつはボイラー室で寝泊まりした…」と尾ヒレがついて担当記者間に広まったりした。

 結局、ド軍が地区優勝を達成した10月上旬までチームに帯同、各地を飛び回った。タクシーに乗れば決まって「ARE YOU NOMO?」と聞かれ、その都度「NO!!」と答えたものだ。日本の首相の名前は知らなくても「NOMO」は誰もが知っていた。一度見たら忘れられない独特のトルネード(竜巻)投法。全米中が、そんな彼の姿に“日本の武士”を重ねたのだと思う。

 現行の『ポスティング制度』が確立されたのは、この野茂以降の話。“荒野”を踏み固めて道を作った彼がいなければ、イチローや松井秀、そして田中マー君や大谷が続けたかどうか。その意味で、野茂は平成という「時代の開拓者」だった。(デイリースポーツ・中村正直)

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