大阪の老舗ライブハウス・十三ファンダンゴ、32年の歴史に幕
キャバレーやスナックが軒を並べる立地に、1987年にオープン。以降、コアな音楽ファンを楽しませてきたライブハウス「十三ファンダンゴ」。古くはウルフルズ、最近ではクリトリック・リスなどが拠点としていた場所としても知られ、ハードコア・パンクからメロコア、ブルース、ロック、弾き語りに至るまでと、硬派ながらも間口の広いスタンスで30年以上にわたって存在感を示し続けてきた。
そんな大阪を代表する名門ライブハウスが7月いっぱいで十三での営業を終了し、10月から堺市に移転することに。1994年から店長を務めてきた加藤鶴一さんと、堺で新店長を務めることになる村上隆彦さんに、ファンダンゴ黎明期の貴重なエピソードから新天地での抱負までを、長い歴史を振りかえりながら語ってもらった。
取材・文/吉本秀純
「最初は『ココは日本なんか?』という雰囲気で、入るのもコワかったな(笑)」
──加藤さんはもともと堺市にお住まいだったんですね?
加藤「そうですよ。十三に住んではいなくて、ずっと堺から通っていたんですよね。小学生のときから地元は泉北(大阪府南部中央)で、偶然に次の移転先も20年以上住んでいる家から近所やねん。それも何かの縁なのかなと」
──「ファンダンゴ」のオープン当初は、加藤さんはお客さんとして通っていたそうですが。
加藤「そう。それまでは十三なんて1度も来たことがなかった(笑)。僕は堺でも1番南の泉北の人間やから、遊ぶにしてもミナミが多かったし。でも、好きだったバンドがツアーで来ることになって、『知らんがなこんなライブハウス・・・』と思いながら来たのが初めてです。最初は駅からすごく迷ったのを覚えているし、着いたら壁の鉄板にブワーッと落書きがしてあってね。『ココは日本なんか?』という雰囲気で、入るのもコワかったな(笑)」
──ちなみに、そのときにお目当てだったバンドは?
加藤「フールズ(※1)ですね。もう30年ちょっと前の話ですけど。当時のファンダンゴはヨコノリのちょっと怪し気なロックバンドがよく出演していて、(ファンダンゴの自主レーベルで)昔レコードを作った大阪のバンド・ランブルフィッシュを中心にしたシーンとか、京都からもバンドがよく来てココで盛り上がっているイメージがあって。その一環でフールズが初めてココに出ることになったんです」
(※1 フールズ:ロックバンド・村八分などの流れをくむ、1980年に結成された伝説的ロックバンド)
──なるほど。「ファンダンゴ」は地理的な関係(阪急京都線で直通)で、京都との繋がりも少し強かったというか。
加藤「電車で1本やしね。あと、その頃のブッキングマネージャーが京都の子やったから、その影響も大きかったかもしれない」
──当時はまだ大阪の中心部のキタ~ミナミにもライブハウスは今ほど多くなかったと思いますが、淀川を隔てた十三というロケーションは、かなり挑戦的な試みだったと思います。
加藤「今となっては音楽ファンに認知されているけれど、初めて来た頃はホンマに『じゅうさん』と思っていたし、阪急の梅田で駅員さんに『どれに乗ったら行けますか?』と訊いたもん。『どれでも行けるよ』と言われたけど(笑)」
──「ファンダンゴ」を通して、十三の街に親しんだ音楽ファンは数知れないと思います。
加藤「十三の街に若い子を連れてくるというのは、僕の前の最初の店長のときからいろいろと考えていたみたいですね。当時はやっぱりオトナの遊び場みたいなイメージが強くて、ちょっと立ち入りにくい雰囲気もあったから。だから、大阪のほかのライブハウスと比べても、ファンダンゴは独特で昔はビックリしたけど、今となっては十三の雰囲気に合うていたんやなと思いますね。いつの間にか周りにも溶け込んでいったし、それで永遠に続けば良かったんやけど、今回はオーナーがココが入っている駐車場の土地を手放したことが発端で、移転せざるをえなくなりました」
「苦情が多くて、一時期は存続が危なかったときもあった」
──お客さんだった時期から含めれば、加藤さんは30年以上に及ぶ「ファンダンゴ」の歴史をずっと見てこられたことになりますが。
加藤「そうやね。2代目として店長になったのは94年やけど、90年くらいから店にスタッフとしておったから。何かがひとつ落ち着いたら別の問題が起こったりで・・・簡単ではなかったね」
──1番大きかった問題というのは何でしたか?
加藤「やっぱり苦情やね。でも、最初の方はホントに好き放題にやってたもんな。もう防音もせんと(笑)。そら苦情も来るわと」
──ただでさえ音量がデカいライブハウスとして有名だったのに(笑)。
加藤「ただ、当時は街中が騒がしかったから、そないに言われることはなかったんですけど。でも、バブルが崩壊して徐々に周りが静かになってきて、それからすごく睨まれるようになって。一時期は存続が危なかったときもありましたね。その流れで防音工事をして今の白い壁に変わったんですけど、その前はベースドラムを踏むと、扉がポッポッと振動で開いたりしてましたから(笑)」
「ゴチャゴチャしたブッキングは、街に影響されていたのかも」
──出演するバンドの傾向も、30年ほどでいろいろな変遷があったと思いますが。
加藤「変わってはきましたね。最初は一連のウルフルズとかランブルフィッシュをはじめとするロックの流れがあって、でも成功した後もパンク~ハードコア系のバンドと一緒に混ぜてオールナイトのイベントに出てもらったりもしていました。その後にデカかったのは、(90年代後半の)メロコアとそれに付随するシーンかな」
──十三での最終日(31日)を飾るガーリック・ボーイズも、初期のウルフルズとともにファンダンゴを語るうえで外せないバンドですね。
加藤「ガーリックは最初の年から出てもらっていたし、1番古いんじゃないかな。メンバーが泉北出身で隣の中学やったから、かわいがってもらいましたね」
──ほかにも、90年代に関西拠点のアンダーグラウンドなシーンを紹介していたガンジー石原さん主宰の音楽誌『GーScope』に取り上げられていたバンドとか、挙げ始めるとキリがないですが。
加藤「レーベルで言うとアルケミーとか、ギューンとか、タグラグとかね。最後に向けてそのへんの人たちもちょこちょこ来てくれて、この2~3カ月くらいで振りかえれたんとちゃうかなと思ってる。やっぱり会えたらうれしいし」
──直近の10年ほどはどんな感じだったんですか?
村上「僕がファンダンゴで働き始めてからちょうど10年くらいなんですけど、もともと僕は愛媛から出てきた人間で、パンクのイベントをきっかけにファンダンゴによく来るようになったんです。僕が通い始めた頃には、ハードコア寄りのやかましいバンドも多かったけどそこは少し落ち着いて、パンク~メロコアにロックンロール界隈、ブルース系のバンドや弾き語りも多くて、こんなに多様でジャンルレスなライブハウスがあるんやという驚きがありました」
──なるほど。
村上「この場所で知れて、好きになっていったミュージシャンが多かったし、10代の頃はちょっと極端でウルサい音楽をやってこそパンクやろみたいに思っていたんですけど、それは全然思わなくなって。一貫した自分の音楽性を貫いて続けている人の方が強いというのを学んだし、そういう人たちを観て若い子も、昔よりもジャンル分けしにくい独創性のある人が増えてきているように思います」
──村上さんは、最初の頃はどういうバンドがお好きだったんですか?
村上「こっちのバンドで言えばS.O.B.とかガーゼとか原爆オナニーズとか・・・。でもハイ・スタンダードとか、オフスプリングのような海外のメロディック・コアも好きでしたね」
──ファンダンゴのブッキングは、常にパンクも主軸にありましたけれど、そこだけに留まることのない独特のものでしたね。でも、一貫したカラーみたいなものも確かに感じられて。
加藤「やっぱりジャンルよりも『ヒト』やと思っていたから。コイツ面白いし熱いなと思ったら来てほしいという、そういうブッキングの仕方をしていたからジャンルはバラバラになったし、そのゴチャゴチャとした感じが十三らしい気もしていたし。街に影響されていたのかもわからんね」
──ブッキングに関しては、ファンダンゴ流の明確な基準みたいなものはあったんですか?
加藤「1番大事にしていたのは、直接に会うて話をしたときの感じ。音が云々よりも、ヤル気があるかどうかとかは、そこですぐわかるじゃないですか? 1番最初の基準は、そこでコイツ面白いなぁと思えるかどうかで、次に音楽でしたね」
村上「そうですね」
加藤「面白い人にはどういう形でも来てもらいたかったし、昔は郵送してくるバンドもあったけど、たいがいは直接音源などを持ってきてくれた。最近はメールで送ってくるような時代に変わっているけど、今でも鼻息荒く直接に店まで来てくれる子もおって。そういう人には、たとえそれまでにファンダンゴに来たことがなかったとしても(笑)、『持ってきたということは来たということや』と1度出てもらったりするようにしていますね」
──まずは音楽性や知名度などよりも、その人自身のパーソナリティを重視するという姿勢が、自然とジャンルを越えたファンダンゴならではの色を形成してきたというか。
加藤「いくら歳が離れていたとしても、オレらも何かを得たり勉強したいというか。そういうモノを求めますね」
村上「ただ、最初に入ったばかりで(加藤さんの)横で事務作業をやらせてもらうようになったときには、たまにビックリするような会話も聞きましたね」
──というと?
村上「学生さんがホール・レンタルしようと思って電話をかけてきたときにも、内容を聞いて加藤さんが『それは面白いんか?』と返したら相手が無言になって、『またよろしく!』と電話を切ってしまったり(笑)。『使わせてください、なんぼですか?』とだけ言ってくる電話が大嫌いで・・・」
加藤「『なんぼで借りれんのん?』とだけ言われたら、『100万!』と返してましたね(笑)。今はそんなことはなく、何でも『ありがとうございます!』と応対していますけれど」
村上「でも、人と内容が見えていないイベントはやりたくないというのは、今でも根底にあると思います。『え、来たことあんの? ないん? やめとき!』と言って電話を切ったこともありましたから(笑)。普通なら店長自らがそんなこと絶対に言わないし、『うわっ、ガラ空きやのに断った・・・』と隣で思ってました(笑)」
「堺でも、地元の人たちと一緒に作っていく場所にしたい」
──そんなこれまでに培ってきたポリシーの良い部分は継承しながら(笑)、10月からは堺市に移転して、村上さんが新店長の新生「ファンダンゴ」(堺市堺区)の営業が始まるわけですが。
村上「10月1日のこけら落とし(GOOD4NOTHING、Hawaiian6、LOSTAGEが出演)から、移転月間のスケジュールはほぼ埋まってきていて、そこから年内はいろいろとやりながら十三で出会った人たちにも堺に来てほしいし、何よりも堺の人たちに面白い遊び場ができたなということを認知してもらって、自分たちもココに出演して発信していきたいと思ってもらえる場所にしたいですね。単なる貸しバコじゃなくて」
加藤「地元の人たちと一緒に作っていく場所にしたいですからね」
村上「来てくれた地元の人には、こんなアーティストを呼んでくださいよということも言ってほしいですし、オレらはこんなことをやっているという新しい出会いも楽しみにしていますし。自分たちだけで構えて作っていくよりも、地元の人からむしろ背中を押されてああせい、こうせいと言われながら作っていく方がうれしいし、どんだけスケジュールが詰まっていて人が来るとなっても、周りから煙たがられる場所になってしまったら危ういですから。そうして仲良くなっておけば、夜にライブの打ち上げで周りのお店に呑みに行ってちょっと騒いでしまっても、怒られへんかなと(笑)」
加藤「そこは味方しかおらんようにしとかなアカンな(笑)。こっちでもさんざん怒られたので・・・。十三のときと一緒で、街の一員になって、街の人たちに喜んでもらえる場所にしていきたいですね」
そして、ライブハウスとしての営業を終えた8月2日と3日には、『十三FANDANGO~end roll~』と題して、入場無料(要ドリンク注文)で記念撮影用にステージ/楽屋/階段などを開放。ライブ写真展示や来場者全員にバックステージパス(ステッカー)のプレゼントなどもおこないながら最後のバー営業を開催する予定だそう。
特に、普段は足を踏み入れることができない楽屋では、32年の間に出演したバンドたちが記念に壁に書き残していった膨大な数のバンド名の落書きも眺めることができ、それが何よりもファンダンゴの歴史の深さを物語る『遺産』となっている。最近はちょっとご無沙汰だったという方も、ぜひ懐かしい記憶を呼び起こすために足を運んでみてほしい。
(Lmaga.jp)
