【ボート】“ナニワのドン”長嶺豊氏逝く…現役時代に賞金王決定戦でレースを徹底分析した企画を実現
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“ナニワのドン”と呼ばれ、長きに渡ってボート界の第一線で活躍された長嶺豊さんが7月7日、腎臓病の悪化により亡くなった。78歳だった。
私がボート記者だったころ、当時の編集局長から「次の賞金王決定戦(現グランプリ)ではどこの新聞社もやってない紙面を作ってみい」と厳命された。いろいろ悩んだ揚げ句、現役選手にレースを分析してもらうコラムを企画した(予想はできないので)。
人選だがとにかく前例がないだけに、ことごとく断られた。ある意味業界のタブーへの挑戦だったから無理もない。そんななか「さかもっちゃんにそこまで頼まれたらなあ」と賞金王出場まであと一歩及ばず、たまたま配分もあいていた長嶺さんがようやく首をタテにふってくれた。
2001年12月。「賞金王決定戦では現役選手がレースを徹底分析します!」を売り物に『ドンに聞け』がスタートした。文章は予想行為にならないよう気を遣ったが、選手にしか分からない駆け引き、心理状況、微妙なスタートの合わせ方、住之江独特なエンジンの出し方など、既存のボートレースコラムでは書けない斬新かつ奥深いものとなった。あまりにも際どい内容に、当時の競技委員長から呼び出され「選手しか知り得ない情報なので、このあたりで…」と小言を言われることもしばしばだった。
最後のレースは04年5月の徳山。実はその前走地の住之江(オール大阪)で「次の徳山で辞めようと思う」と耳打ちされた。耳を疑った。確かに勝率も落ちB1への降格が確定的、引退は秒読みだったが、縁のある地元水面をラストランにすると思ったからだ。「オレって派手な性格に見えるやろ。でもちゃうねん。静かに辞めたいねん」。徳山最終日でも引退を宣言せず、全てを走り終えた後“約束通り”『長嶺引退!』の一紙特ダネ。当時の編集局長の計らいから1面フラッシュ(見出しだけ速報)でも報じたほどだ。
何度も食事をともにした。「山育ちだから」という不思議な理由で魚は食べない。酒は飲むというウワサだったが、私の前ではなぜか下戸だった。ある選手に言わせれば何度も酒の場で失敗されたとか。また水を相手にする競技にもかかわらずカナヅチだったとも(ともに真意は不明)。ただ、奥さまはかつてミナミでラウンジを経営する名物ママで、記者仲間は足しげく通ったものだ。
レースではインの鬼、まくってくる艇には容赦なく激しく抵抗、まさにダンプ上等!おかげで顔面は切り傷だらけ。古き良き時代のボートレーサーだった長嶺さん。いろいろ無理を言ってご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。(元ボートレース担当・坂元昭夫)