【競輪】50歳の萩原がダービーで奮闘

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 萩原操(50)=三重・51期・S1=が名古屋ダービーに出場する。わたしにとって同級生の51期生は特別な思い入れがある。

 デビュー当時からファンを騒がせた本田晴美(岡山)、山田英伸(神奈川)、野原哲也(福井・引退)、戸辺英雄(茨城)、内田浩司(福岡)、坂本典男(青森・引退)などそうそうたる顔ぶれで活躍をしていた。

 名うてのマーク屋で売り込んだ山田以外はバリバリの先行選手。特別競輪に出場しても同地区、それ以外でも本命を背負う先輩を引っ張ることが当たり前の時代であったのだ。萩原もその一人。現場取材で「涙の操」を見た覚えがあるが、それは心の涙で決して人前で泣く男ではなかったことを強調したい。むしろ周囲を笑わせる、気さくな選手であった。

 当時はフラワー軍団VS九州に注目が集まり中部地区は高橋健二・美行兄弟(愛知・引退)、竹内久人(岐阜・引退)などが主役。しかし、頑張れば必ずいいことがあることを信じていた萩原にも、昭和63年の富山で春が来た。

 今泉元嗣(愛知)‐萩原‐高橋美行の変則な並びで、萩原が番手まくりで記念初優勝をしたのだ。美行さんが認めたからこそ愛知の真ん中に入れた結果であったのだと、ふと思い出した。これこそ昭和の競輪。昔話ばかりになるが追い込み型も苦しんだ。1車でも前を回るには、努力ばかりか人間模様と結果も出ていなければ、好位などを渡されることはなかった。

 あのころは“義理と人情”とのあいだで新人は葛藤していた。苦悩があまりにも長かったが、時代は変わり競輪(レース内容)も変化した。

 プリンス・神山雄一郎(栃木)はトップスピードの高さと持久力を誇る天性のスプリンター。93年、地元宇都宮で開催したオールスターでG1を初タイトルしたときは、誰もが「涙」した。

 その後、ガムシャラに逃げる吉岡稔真(福岡・引退)の登場があり新たな競輪競走が芽生えたが、スピード化するレースにベテラン選手はまたもや大きな壁にぶつかることにもなった。

 だが、何事もあきらめないレーサーは練習に打ち込み自らの肉体改造も行ったに違いない。さらに大ギアブームにも立ち向かうなど文句や愚痴をこぼすことなく「今」に徹したベテラン選手である。

 10年3月、松戸ダービーで大穴を出したとき、萩原が「火縄銃もまだ錆びてないなぁ」と笑っていたことがつい最近のように感じる。

 ダービー出場は同期の皆が応援している。当然、わたしも。長丁場(6日間)の戦いはベテラン強し!!追い込み勝負でも、まくり一発でも魅せるレースをすることだろう。

 そして、約束した51期会を、どこかひなびた温泉で実行しましょう!記録より記憶に残る51期はノンタイトルでも構わない。おじちゃん、おばちゃんで盛り上がる宴を楽しみにしている。(関東競輪担当・吉野みどり)

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