何者かに憧れる中年の本質は?~映画「見上げてごらん」
「人は何者かにならなければいけないのか?」
このテーマは昨今、特に疑問視するところだが、SNS時代が到来して更に若者の間で人生のテーマになっているのかもしれない。果たして夢を叶えることがそんな尊いことなのか。ここに目を向けたのが今作で初監督を務めることになった、助監督経験を多数持つ森本晶一氏だ。そしてもうひとり「泣く子はいねぇが」(2020年)で長編映画監督デビューを果たしている佐藤快麿氏というコンビ監督での映画製作だった。
確かに森田剛演じる映画の主人公・土屋輝一は武田鉄矢扮する巨匠マンガ家の万年アシスタントだ。絵の上手さはピカイチだが、妻とは別居中で年頃の娘と暮らしている。やがて土屋はコンビを組んでマンガ化を目指すという設定。となれば監督がコンビというのもしごく納得だ。劇中で描かれる40代の男女二人のマンガ家の日常は、自分のことだけを見つめていられる年頃ではなく、土屋は別居中の妻との関係が不安定で子どもとの会話の時間も必要で心休まる暇がない。相方となる山田ぽてとは、40歳になっても結婚せずに夢を追うことを父親から責められている。まさに人生遅咲きの大人達が再起をかける姿を映し出す本作には、好きなことを続けることと、何者かになることは違うのかというテーマが綴られていくのだ。
ちなみにマンガ家を目指す映画は今までも多くあり、有名マンガ家達を輩出したアパートが舞台の「トキワ荘の青春」(1996年)や水木しげるの自伝エッセイを映像化した「ゲゲゲの女房」(2010年)といった実在のマンガ化がモデルとなった作品や、マンガ原作ならば近年では「バクマン。」(2015年)や「かくかくしかじか」(2025年)、「ルックバック」(2026年)などでも映画化されてきた。ちなみに「汝、星のごとく」(2026年)でも横浜流星演じる主人公は松村北斗演じる友人と漫画家を目指している。でも何故、こんなにもマンガ家の物語が映画化されるのかと考えた時に、映画人はマンガを愛する人も多く、仲間たちと作品を作り上げるという共通点がある。更には不安定な生活ながらも生み出す仕事への情熱にも共感しているのかもしれない。
ただ本作では主人公が42歳でそこまで焦らずに万年アシスタントというのが今までと少し違う点だ。しかも劇中には、40代以降の面倒臭さが随所に綴られているのも痛々しくて面白い。新しいアシスタントが来れば彼女の素性を調べて愚痴をこぼし、マンガ家としてブレイクしたかつての後輩アシスタントの成功も褒められず、担当編集者が過去のマンガをすべて読んでいなければ「マンガファンではない」と言い放つ。これらの言動は観客である私達自身も気をつけなければいけない嫌な大人の一例なのに、やや理解出来て苦笑いしてしまう。この一連の感情を森田剛が見事なまでにサラリと表現するものだから、職種は違えどもはや自分ごとにさえ思えてくるのだ。そして演技の上手さに惚れ惚れする。
思えば、何者にもなっていないのに口だけは達者な人間は地球に多く棲息している。一見すると「偉そうに」と思ってしまうが、それでも何かへの愛だけはいっぱしだ。ちなみに土屋はマンガ家アシスタント止まりだが、もしパートナーが何者かになってしまったら上手くいくのだろうか。そこがこの物語で描こうとしている人間心理の核だろう。そして身近な人間が先に成功してしまった時の対応で、人間の未熟さが見えてくる。だけどそんな未熟さが創造力の源だったりすることをラストで教えてくれるのも心憎い演出だ。
そうだ、「何者かになりたい」に囚われている時点では、中年だろうとまだまだ未熟だし、歳を重ねるごとにとことん面倒臭い人間になっていく。でも見方を変えると年齢関係なくのびしろがあって興味深い人間ということだ。
(映画コメンテイター・伊藤さとり)
