ウルトラマン科特隊の“おでん同窓会”フジ隊員が明かすキャップとの別れ、伝説の前夜祭、ハヤタの鼻血
円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマ「ウルトラマン」が1966年の放送開始から今年で60年目となる。科学特捜隊(以下・科特隊)のフジ・アキコ隊員を演じ、9月に発売された著書「ヒロインの追憶 ウルトラの絆」(立東舎)で数々のエピソードを綴った女優の桜井浩子に、盟友たちと過ごした日々を聞いた。(文中敬称略)
科特隊のメンバーは5人。「キャップ」と呼ばれるムラマツ隊長(小林昭二)、ウルトラマンと一心同体であるハヤタ隊員(黒部進)、コミカルなキャラのイデ隊員(二瓶正也)、熱血漢のアラシ隊員(石井伊吉、68年に毒蝮三太夫と改名)、そして“紅一点”のフジ隊員だ。 ウルトラマンの初回放送前、「前夜祭」イベントが都内の杉並公会堂で公開収録され、66年7月10日の夜7時からTBS系で放送された。お茶の間に向けた科特隊のデビューだった。
5人は客席に通じる天井の低い奈落(※床下のスペース)で待機していたが、舞台上の進行が長引き、隊員服にヘルメット姿のまま床に膝を付けた状態で20分以上も待たされた。「これじゃ足がしびれちゃうよ」(二瓶)、「俺たちの出番が少なくなっちまうぞ」(小林)、「でも…まだ合図のキューは来ていません」(石井)。待ちきれなくなったその時、突然、ガシャンと舞台で何かが壊れた音が…。そのタイミングで、小林が「行くぞ!」と合図して飛び出し、通路から舞台に上がった。
「出て行ったら、舞台が阿鼻叫喚になってるんですよ」(桜井)。その後もヒーローや怪獣、子豚までがステージを駆け回り、最後は円谷英二監督と共に全員で「ウルトラマンの歌」を合唱。「伝説の前夜祭」として語り草になっている。
時は流れ、5人は96年公開の短編映画「甦れ!ウルトラマン」で約30年ぶりにそろって再会。桜井は「スタジオでアテレコをした帰り、みんなで近くのおでん屋に行って飲みました。キャップはお元気で、一番たくさん食べて、日本酒もすごく飲んでご機嫌でした」と懐かしむ。だが、同年8月、小林は65歳で亡くなった。
桜井は「(同時公開の映画)『ウルトラマンゼアス』の会見後、飲みに行ったのが小林さんとの最後でした。『入院した』という電話をご本人からいただき、お話をした日から42日後に亡くなられました。病名は腺がん。あんなに早く、『人って死ぬんだ』と実感しました」と回顧。続いて、二瓶が21年に80歳で死去。桜井は「今も奧さんと二瓶ちゃんのお墓参りをしています。おでんを食べた仲間で健在なのはマムシさん、黒部さん、私の3人になっちゃいましたね」と実感を込めた。
毒蝮は89歳の今もラジオなどで活躍中。桜井は「マムシさんは顔が広くていろんな人を知っていました。(日本テレビ系「笑点」で)その名前を付けた立川談志さんにもご紹介いただいて一緒に飲むようになりました。私が大阪の中座に出演した時に、談志さんが『舞台の看板を見たから』と言いながら楽屋にカルーセル麻紀さんを連れて来られ、ネーブルオレンジを置いていかれたことを覚えています。マムシさんがつないでくれたご縁でした」と懐かしむ。
黒部とは「ウルトラマンマックス」(CBC・TBS系で05~06年放送)で共演。第16話「わたしはだあれ?」の“怪演”が忘れられない。実相寺昭雄監督(06年死去、享年69)が演出した「ウルトラマン」の第34話「空の贈り物」で、ハヤタ隊員がウルトラマンに変身する時に使う「ベーターカプセル」と間違えてカレーを食べていたスプーンを掲げるという遊び心のある演出にオマージュを捧げるシーンがあった。
「監督は三池崇史さんで、実相寺監督の匂いを感じさせる人でした。黒部さんはスプーンではなく、カレー本体を上に掲げたんです(笑)。私も監督の注文で髪を逆立て、スプレーで固めて爆発へアにして登場。それを見た黒部さんは『僕、鼻血を出したい』って言い出して、三池監督も『良かろう!』ってことで、赤い血のりを鼻の下に垂らしたんです。私が『赤いライトだから鼻血付けても分からないよ』と言っても、黒部さんは『いや、もっと垂らす。僕はこれでいいんだ』と。面白い人です。オンエアの画面を見たら黒部さんの鼻血は赤い照明に同化して分かりませんでした(笑)」(桜井)
黒部は10月で86歳に。唯一の70代である桜井も来年3月で傘寿を迎える。鬼籍に入った盟友たちに思いを馳せる。キャップは30年ぶりの“同窓会”で「いいか、科特隊はこの5人なんだぞ。このメンバーじゃなきゃ科特隊じゃないんだよ」と呼び掛けた。その言葉を、桜井はしっかりと新刊に記した。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)
