大河「べらぼう」『赤蝦夷風説考』著者・工藤平助の奇人伝説と田沼意次との繋がりとは? 識者が語る
大河ドラマ「べらぼう」第21回は「蝦夷桜上野屁音」。工藤平助とその著書『赤蝦夷風説考』について触れられていました。江戸時代後期の医師・学者の工藤平助は紀州藩医・長井常安の三男として享保19年(1734)に生まれました。平助は13歳の時に仙台藩医・工藤丈庵の養子となります。宝暦4年(1754)に家督を継いだ平助は仙台藩江戸詰の藩医として活動していきます。
平助は流行医となり高名となりますが、千両箱を客に持ち上げて見せる奇癖があったようです。この事から平助は「奇人」とも言われます。平助の交友関係は幅広く、杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らとも交流がありました。平助は蘭語は読めませんでしたが、こういった人々との交流を通して海外事情を知っていったのです。
また松前藩士との交流もあり、平助は蝦夷地にも関心を寄せていきます。平助が30歳になる頃には平助の高名を慕い、松前や長崎といった遠国から弟子になりたいと言ってやってくる者がいたようですので、そうした事も平助が蝦夷地に関心を示す契機になったかもしれません。
さて平助が記した『赤蝦夷風説考』はロシアの南下を警告する書物ではありますが、平助は日本とロシアが事を構えることを望んでいた訳ではありません。ロシアは大国であり、仮に戦争となったとしたら日本が勝利できる見込みはない。よってロシア人を追っ払うのではなく、ロシアと交易をすることの重要性を説いたのでした。貿易の利益によって蝦夷地の開発を進めていくことを提言したのです。同書は老中・田沼意次に献上されることになりますが、その執筆のきっかけとなったのが、平助と田沼家の公用人との会話でした(平助の娘・只野真葛の回想記『むかしばなし』)。
この公用人は「我が主人(意次)は富にも禄にも官位にも不足はない。この上の願いとしては田沼老中の時の仕置きとして長き世に人の為になることをしたいのだ。何をしたら良いか」と平助に問います。すると平助は「それは良きお心がけ。国を広くする工夫が良いかと思われます」と回答。蝦夷地を拓いて貢物をとる工面をすること、それが日本を広くすることだと平助は主張するのでした。そうすれば人々は、それを田沼様の功績として高く評価するだろうとも言うのです。
公用人は感心して、平助に主張を「一書」にするよう依頼。意次に献上された『赤蝦夷風説考』は『むかしばなし』によると「随分うけもよく」、平助を蝦夷地奉行にとの声もあったようです。ちなみにこの時の田沼家の公用人を三浦庄司とする説もあります(工藤平助著・井上隆明訳『赤蝦夷風説考 北海道開拓秘史』(教育社、1979)。
(歴史学者・濱田 浩一郎)
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