55周年の歌手・平山みきが語る「令和の昭和歌謡論」 古希を過ぎてもライブで熱唱、配信も好評
後追い世代にとって昭和歌謡を象徴する1曲として知られる「真夏の出来事」は1971年5月25日にリリースされた。70年のデビューから今年で55周年を迎えた歌手・平山みきの代表曲だ。昨年からライブ配信を始め、5月には若いクリエイターの主催イベントで熱唱した平山に話を聞いた。
「真夏の出来事」は平山三紀名義での2枚目シングルで、作詞は橋本淳、作曲と編曲は国民的ヒットメーカーとなった筒美京平(2020年死去、享年80)。“鼻にかかったハスキーボイス”と形容される唯一無二の歌声は一度聴いたら忘れられない。
平山は“昭和100年”となる2025年の“ゴーゴーダンスの日”5月5日に東京・鶯谷の「新世紀」で開催されたイベント「Tokyo A GoGo」に2年連続出演。トレードマークの黄色い衣装で2ステージを行った。
69年開店、昭和の香りを残す都内最古となるダンスホールの楽屋。本番前、平山は「デビュー間もない頃に九州のキャバレーで歌ったことがあって、今思うと、大きなステージにバンドがいて、ひな壇の客席はいっぱいで、ホステスさんがいて…。そんな高度経済成長期の時代の文化がどんどん消えている中、こうした場所が残っているのは素晴らしいですよね」と懐かしんだ。
そしてステージへ。まずは横浜を拠点とするバンド「斉藤ネヲンサイン」との共演で、70年11月のデビュー曲「ビューティフル・ヨコハマ」、海外曲のリメイク版「太陽の下の18才」を披露。2度目の登場では、イベントを主催する96年生まれのゴーゴーダンサー「踊るミエ」と共に「真夏の出来事」を皮切りに、B面曲の「ブン・ブン」、「20才の恋」(72年)、「真夜中のエンジェル・ベイビー」(75年)を歌い踊った。
平山は「盛り上がりが去年よりすごい。この1年頑張ったね」とミエを激励し、「ゴーゴーの盛り上がりに55周年の私もパワーをいただきました。来年も楽しみ」と今後の参加にも前向き。ミエは「みきさんは『次やるんだったら、こうしてみたらどう?』といったアドバイスもしてくださる方。僭越ながら、みじかな大先輩として尊敬しています。一緒に作っていこう…という気持ちを言葉の端々から感じました」と評した。
一方で、若い世代とは歌特化ライブ配信アプリ「Color Sing(カラーシング)」を通してつながっている。「JOYSOUND」のカラオケ音源を使って生歌を配信し、アプリを取得した幅広い層のリスナーが集まる。「最初は700人もいなかったのが、今は何千人にもなっています」。手応えを示した平山は令和における昭和歌謡の位置づけなどについても見解を語った。
「私がデビューした頃にも“リバイバル”というのはあったけど、“昔の人”という扱いのリバイバルなのね。今って、ちょっと違っていて、『昭和歌謡』というジャンルが若い人たちが聴く今の音楽と同じくらいのところにはあると思うんですよ。“昔”というイメージじゃなくてね。だから、やりやすいといったらやりやすいですよね。若い子たちも昭和歌謡を配信して、それは私が歌っていた筒美京平先生の時代だったりする。私にとって昔の歌というと『銀座カンカン娘』とか服部良一さんの時代なんだけど、それは歌おうと思っても(配信のレパートリーに)入ってなかったりします」
「私の頃は『職業作家がいてくれての歌手』なんですけど、今は自分で曲を作って自分で出す人も多い。それって、私が思うには、自分の歌いやすいものとか、音域とか、一つのカラーになってしまう。多様性の時代ですから、いろいろあっていいと思いますけど、私の頃は、作家さんに曲を渡されて『歌えない』と思っても歌わなきゃいけなくて、それが(結果的に)良かったという部分はありました」
東京で生まれ育ったが、80年代から京都に移り住んだ。11年の東日本大震災を受け、同年12月から被災地の子どもたちに「クリスマスを届ける」という趣旨のイベント企画「ジングルウィーク」を京都市内の地下商業施設「ゼスト御池」で毎年開催するNPO法人の代表も務める。
「ジングルウィークは今年の開催で15年目。今後も続けていこうと思っています。また、バーレスクダンサーやドラァグクイーンの人とのショーを10年くらいやっていまして、今年もやりたいですね」
古希を過ぎても、古都を拠点に、各地のライブ会場、そして配信というデジタル空間で歌い続ける。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)
