90歳で死去した新間寿さん、記者に語った肉体鍛錬と「年齢ではない精神のありよう」東京プロレスの記憶も
アントニオ猪木とモハメド・アリとの異種格闘技戦など数多くの名勝負をプロデュースし、昭和のマット界で“過激な仕掛け人”と称された元新日本プロレス専務取締役兼営業本部長の新間寿さんが21日に90歳で亡くなった。プロレス取材の現場で接することは度々あったが、コロナ禍に入る前年、リングから離れて防犯活動に参加した新間さんと共に過ごした一日が思い出される。その場で新間さんが発した金言の数々や80代まで続けていたトレーニングの内容を紹介する。(文中一部敬称略)
晩年の新間さんは自身が世に送り出した初代タイガーマスクの佐山聡の側にいた。佐山が代表を務める団体「ストロングスタイルプロレス」の会長でもあった。2019年7月5日、東京・北区で行われた防犯キャンペーンを取材した。
王子区民センターでの「特殊詐欺防止」をテーマにした講話で、新間さんは「ある詐欺軍団から顧問就任を要請された」という衝撃の出来事があり、毅然とした態度で相対したことを明かした。
「彼らは『私たちはタンス預金を世の中に出しているんです』と正義の味方のような顔で言い、『顧問になってください』などと私に言ってきた。こういった連中の特殊詐欺に対しては研ぎ澄まされた感覚で防いでほしい」
そう訴えた新間さんは「世間では70、80など、ある年齢になると“高齢者”と呼ばれるが、『高齢者』という言葉は年齢によるものではない。精神のありようです。失望がなければいつまでも若い。希望と共に青春があり、失望と共に老いがある。私には失望がない」と人生哲学を語った。
年齢は数字にすぎない。肝要なのは「精神」。さらには「肉体」も鍛えていた。
「私は昭和10年(1935年)生まれの(当時)84歳ですが、ヒンズースクワットを毎日100回、腹筋は毎日400-500回やっている」。この「100回」や「400-500回」という数字が気になり、本人に詳細を確認すると、その回答以前に開口一番、「おう、デイリーさんですか?そう、東京プロレスの旗揚げ会見(1966年)に真っ先に来てくれたのがデイリースポーツでしたよ」と懐かしんだ。
日本プロレスとたもとを分かった豊登や猪木らを擁し、父・新間信雄氏と共に設立から運営まで尽力した伝説の団体「東京プロレス」への思いも吐露。そして、質問への回答として、自身のトレーニング内容を改めて説明してくれた。
「ヒンズースクワットを一気に100回やるわけではなく、15回を6セットと10回を1セットで計100回。腹筋は100回1セットを4-5セット。あと、膝をついてローラー(器具)を押す運動は30回1セットを10回で計300回。そうしたトレーニングを1日トータルで1000回近くやっているということです」
84歳の時点で、それだけのメニューをこなす体力に舌を巻いた。
新間さんはJR十条駅近くにある「東京3大銀座商店街」の一つである十条銀座商店街に繰り出した。王子警察署の「薬物乱用防止等キャンペーン」のパレードで、その隣には佐山がいた。
81年4月、新日本プロレスの蔵前国技館大会。英国出身レスラー、ダイナマイト・キッド(18年死去、享年60)を相手に戦慄のデビューを果たした初代タイガーマスクについて、新間さんは「私の青春はタイガーマスクと共にあった。彼は心の源流、魂の伝道者」と称えた。佐山から「僕は新間派ですから」とエールを送られると、「私はタイガー派です」と切り返した。
そんなやりとりを盟友と繰り広げながら、下町風情が残る商店街を練り歩いた新間さん。つい最近の事のように感じていたが、早いもので6年の月日が流れた。心身ともに「己のありよう」を追求して卒寿を迎え、アリや猪木、キッドら往年の名ファイターたちの元へと旅立った。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)
